【インドネシア・ジャカルタ(藤本さん)】アジアで日本と海外の架け橋になるような仕事を創っていきたい
目次
藤本陽介さん略歴
大学卒業後、新卒で株式会社ファーストリテーリング(ユニクロ)に入社。数百人の同期入社の中でも早く店長に昇格。その後、同社の商品企画開発、eコマース部門で実務を積み2008年に退社。その後ライセンスビジネスを展開する会社、ネット広告代理店での勤務後、プライムストラテジー株式会社に入社。同社勤務時には「WordPressの教科書2(SBクリエイティブ)」の執筆(共著)や編集をしWordPressの第一人者として注目を浴びる。その後、同社のジャカルタ現地法人立ち上げに参画。ジャカルタ法人代表(アドバイザー)及び同日本法人のCOO(最高執行責任者)を歴任。現在(インタビュー実施時)は同社を退職し、フィリピン・セブにて英語学校に在籍し英語を学ぶと共に起業のために準備中。
岡本:今回は多岐に渡る経験をされ、インドネシアのジャカルタ現地法人の代表をされ、現在フィリピン・セブで英語の勉強をしながら今後の起業準備をされている藤本陽介さんにお話を伺います。藤本さん宜しくお願いします。
藤本さん:宜しくお願いします。
インドネシアで働くことになったのは、偶然の要素が強かった。
岡本:総合アパレル(店舗運営、商品開発、eコマース担当)→ライセンスビジネス→ネット広告→IT企業の技術→出版と多彩な経歴をお持ちの藤本さんがインドネシアの首都ジャカルタで働くことになったきっかけは何なのでしょうか?
藤本さん:実は海外で働くということは、全く考えていませんでしたし、海外で働きたいと思ったことも、全くありませんでした。インドネシアに現地法人を設立するためジャカルタに赴くこと打診されたのがきっかけです。
岡本:それではインドネシアで働くことになった理由は偶然というか、たまたまそういう機会があってそれに乗っかったという側面が強いのですね。
藤本さん:そうですね。でもいざインドネシアでビジネスを行うという話が出た時は、インドネシアやジャカルタについてかなり詳しく調べましたね。インドネシアは人口2億5000万人を抱える世界第4位の人口を有していますし、国民のほとんどがイスラム教徒です。国民の平均年齢がまだ29歳(日本は45歳)と非常に若く、今後数十年は人口ボーナス期を迎えるというだけあって、経済的には毎年GDPが7%ほど成長しています。このようなデータもインドネシア事業を始めるという話が出て初めて調べました。求められて、必要に迫られて、調べてこの国の可能性や豊かな将来性について確信を得てからの決断でした。ご縁があったのだと思います。
インドネシア人はとても親日。とても働き易い環境でした。
岡本:実際にインドネシアで会社を興してみて当初の予想と比べて何か違ったことはありましたか?
藤本さん:そもそも思い描いていたインドネシアの生活や仕事のイメージがなかったのでなんとも。。ただ、現地で働いてみて、日系企業でITの分野で成功している会社はまだほとんどないことを知りました。海外かつ、まだまだeコマースの市場が成熟していない中で、新しい市場を作っていくのは非常に難しかったですが、やりがいはとてもありました。ただ、幾度となく下痢や、デング熱のようなウィルス性の病気にかかってしまい、酷い目にも合いました(笑)。
岡本:インドネシア人と働くことはどうでしたか?
藤本さん:まずインドネシア人はとても親日的な方が多く、日本人というだけでとても尊敬される傾向があると思います。親日の国は多くあることは知っていたのですが、インドネシアはその中でも一番の親日国ではないでしょうか。日本語を勉強しているインドネシア人はとても多いですし、J-POPや日本食、日本のアニメや日本のコスプレなどの人気はとても高いです。そのため、彼らにきちんと敬意を払えばとても働き易い環境だと思います。私はインドネシア語を勉強して日常会話ぐらいならある程度話せるようになりましたが、そうした姿勢は、現地の方々からとても評価されます。
岡本:意地悪な質問ですが、インドネシア人と働いて苦労されたことはなかったですか?
藤本さん:そうですね。。強いてあげるとすると彼らは物事を正直に言えない側面があるかもしれません。決して悪気があるわけではないと思うのですが、出来ないことを出来ないと正直に言えないことが多かったと思います。例えば、仕事の約束をしていて、それが進んでいることも何度か確認していたとしても、最後になって何も進んでいないことが何度もありました。これには参りましたね。かなり泣かされました(笑)。このような経験は私だけではなく、回りの日本人の方も同じように経験をしている人が多かったようです。日本人以上に「ノー」と言えない部分があるかもしれませんね。今は彼らが自信なさそうにしているところを見るとピンときます(笑)。
岡本:他にインドネシアで苦労されたことはありましたか?
藤本さん:う〜ん、なかったと思います。私は「郷に入れば郷に従え」の考え方をするというのもあると思いますが、思った以上に働き易い環境でした。ただ一般的には、インドネシアはイスラム教徒が多いので、基本的にはお酒や豚肉はあまり口にしませんし、日本とは、宗教だけでなく、文化、考え方の違いもあります。言語もインドネシア語ですし意思疎通に支障を来すときもありました。また、ジャカルタの渋滞や洪水は有名です。「渋滞していなければジャカルタではない」なんて言葉をよく耳にするぐらいです。雨季の洪水時には、停電になることもよくありました。
海外では前向きでないと生きていけない。でもこのような環境だからこそ成長出来る。
岡本:インドネシアで何か印象的な出来事はありましたか?
藤本さん:JKT48というのはご存知でしょうか?AKB48の姉妹アイドルグループでジャカルタに本拠地を置いています。インドネシアでの彼女らの人気は絶大なのですが、その中で仲川遥香さんという日本人の女の子がいます。回りがインドネシア人の女の子ばかりなのですが、ファン投票では2位となり、CM7本、テレビでは冠番組も持っています。彼女はまだ23歳なのですが、インドネシア語もマスターして本当に頑張っています。私は何度も劇場公演に通いました。異国の地で努力をして頑張る姿にとても共感を覚え、また刺激をもらっていました。彼女に限らず海外で活躍する日本人には、とても魅力的な人が多いですね。僕も彼らに負けないくらい頑張りたいですし、活躍をしたいと思います。
岡本:僕も海外で働く人は自分がやっていることについて覚悟を持った魅力的な人が多いと思います。海外で働くことで得たことはありますか?
藤本さん:サバイバル能力や臨機応変なことに対応する力が備わったと思います。海外では予想出来ないことが頻繁に起こります。身近な例で言うと、事故や洪水、停電など。私たちはIT企業でしたから、停電でインターネットが使えないと仕事にはなりません。そんな時は「この状況でだからこそできることはないか?」を考えます。例えばスタッフを集めてミーティングをして普段話さないことを議論したりする。海外では前向きでないと生きていけません。でもこのような環境だからこそ成長出来ると思います。
すぐにインドネシアで起業することは考えてはいません。
岡本:現在はインドネシアの代表として働いていた企業を退職されていると伺っています。
藤本さん:まだまだIT分野で未成熟の市場であるインドネシアでやっていくことは非常に難しかったです。また、私は現地法人の代表だけではなく、日本法人のCOOも勤めていたのですが、二足の草鞋を履いたまま続けていくことがどうしても出来ませんでした。本当はインドネシアの仕事に集中したかったのですが、6割〜7割の時間を日本法人に使わざるを得ない状況に疲れてしまいました。苦渋の決断もありましたが、そもそも私の実力不足もありましたし、このままではいけないことは明らかだったので、再出発をすることに決めました。ジャカルタを去ったのは今年の3月末です。今はこれまで逃げてきた英語の勉強をフィリピン・セブでしながら次のビジネスの展開を構想しているところです。
岡本:なるほどですね。インドネシアで個人的に起業することは考えていないのでしょうか?藤本さんは日本での多彩な経験がある上にインドネシア語も話せます。現地の会社で実務経験もある。個人的に成功する要素は十分お持ちだと思います。
藤本さん:すぐにインドネシアで起業することは考えてはいません。いまのインドネシアで私のような個人が戦っていけるほど簡単な市場ではありません。ただし近い将来、絶対にリベンジで戻ってくることは心の中で決めています。
日本と海外の架け橋になるような仕事を創っていきたい。
岡本:どんなことを考えているのかとても興味がありますね。
藤本さん:ここで具体的にお話しすることは控えますが(実際にはお聞きしましたが、記事としての掲載は控えます。)、日本と海外の架け橋になるような仕事を創っていきたいと思います。私自身、海外に住み、また働き、いろいろなことを感じました。日本人は本当に勤勉ですし、真面目ですが、それだけではグローバル社会では勝ち続けられない。また日本には素晴らしい技術やコミュニティがありますが、それを活かしきれていない。と感じます。このような社会問題に対し、仕事を通じて、社会に貢献し、私自身もグローバルな人材として、再起したいと思っています。そしてどんな形でもいいので、必ずジャカルタに戻ってきます。
岡本:藤本さんのご経歴や仕事への取り組み方を考えると、現在考えていらっしゃるビジネスアイディアを実行すればきっと成功されると思います。最後に、今後海外で働くことを考えている日本人に対して一言いただけますか?
藤本さん:チャンスがあれば是非、海外で仕事をすることにチャレンジしてほしいです。私は海外で働くことなど全く考えてもみませんでした。でも、外に出てみないとわからないことはたくさんありますし、チャンスも多くあると思います。私たちは日本に生まれただけで本当にラッキーです。アジアで生活していると日本がいかに恵まれた国であるか実感出来ます。日本と他国の格差を知り、自分たちの境遇に感謝すべきだと思います。そして、こんなチャンスに恵まれた素晴らしい国で生まれた私たちはもっと頑張らなくてはいけないと思います。そういったことを知る上でも多くの人にチャレンジをしてもらいたいですね。
岡本:藤本さん、今回は貴重なお話ありがとうございました。
藤本さん:こちらこそ、ありがとうございました。
今回のインタビューで感じたこと
藤本さんの素晴らしい経歴、温厚でありながらもチャレンジ精神に溢れる人柄を考えると、今後アジアで活躍される方であると思いました。僕とは年齢も同じで、とても刺激を受けました。自分ももっとがんばらねば。。藤本さんが海外に出ることになったきっかけは自ら積極的に望んだいうわけではありませんでした。しかし、与えられたポジションで持ち前の行動力と人を巻き込む力を発揮され、苦労をしながらも進まれる中で、インドネシアへの想いやアジアで起業する想いが育まれていったのだと思います。現状で立ち止まり、前に進めなくなっている日本の若い人にはどんどん外に飛び出し、チャレンジをしてほしいと思いました。そこには成功は約束されてはいませんが、確実に成長は約束されています。