Webマーケターとしてインドネシア就職から起業に成功。海外で必要な心構えと“行動”し続ける姿に迫る!
こんにちは!
BEYOND THE BORDER ライターのペクです!
「現状のキャリアでこの先大丈夫?」、「毎日早朝から深夜まで働きづめ。こんな働き方をずっと続けるのは難しそう」・・・。
キャリアや働き方に関してそんな悩みや葛藤を抱えている方も多いのではないでしょうか。
「なんとか現状から抜け出したい!」と思いながらも、具体的な方法が思い浮かばず、困っている方もいらっしゃるかもしれませんね。
今回お話を伺ったのは日本で培ったWebマーケターとしてのキャリアを活かし、インドネシア就職後に起業した、柳沢孝一(やなぎさわ こういち)さん。
柳沢さんは日本で働き方を変える必要性に直面したのを機に、環境を変えるべくインドネシア移住を決意し、以来ご自身が理想とする生き方・働き方に近づけるべく、行動を重ねて来られました。
「考えるだけでは何も変わらないので、とにかく行動してみることを意識しています」とお話して下さった柳沢さん。
そのお言葉通り、インドネシア就職を果たした際はもちろん、起業された今も日々挑戦を続けておられます。
そんな柳沢さんがインドネシアで働くにあたって大切にしていた心構えとは?
理想の働き方を実現した今、感じていることや意識していることとは?
柳沢さんご自身が日本とのリモートワークを中心にご活動されていることから、海外就職・海外起業はもちろん、海外フリーランスを目指す方も是非ご一読下さい!
目次
柳沢孝一さんとは?
大学卒業後、約10年間インターネット広告代理店でWebマーケターとして勤務。ある日突然緊張の糸が切れ、インドネシア移住を決意。PT. Excite Indonesiaに就職し、インドネシア語メディアの運営に従事。移住後2年でインドネシア人女性と国際結婚し、夫婦で起業。現在はWebマーケターとして培ったキャリアや知識を活かし、リモートワーク中心の生活を送っている。
*当日伺ったお話を基に執筆。
「働き方を変える」必要性を感じ、海外に目を向ける
会社に依存せず、「個」の力を高められる環境で仕事をすべく、従業員数30〜100名規模の企業を中心に幅広い業界での就職活動の末、人材系ベンチャーに就職。
1〜2年勤務した後、新たに設立されたWeb・IT系の子会社に立ち上げから参画することになったという柳沢さん。
土日はもちろん、平日も朝早くから夜遅くまで勤務する忙しい日々ではあったものの、志を同じくする仲間とともに仕事に打ち込む日々は大変楽しく、充実していたそうです。
そんな柳沢さんは一体なぜ海外に目を向け、インドネシア移住を決意したのでしょうか?
── 「個」として生きる力を身につけるべく選んだ会社で、大変ながらも充実した日々を過ごしていたんですね!
特に、立ち上げから参画したWeb・IT系の子会社では、会社の規模がどんどん大きくなる楽しさを感じながら仕事に取り組めており、大変充実していました。
IT業界は進化も速く、常に新しいことに触れつつ、どんどん挑戦させて頂ける環境で、知識や経験が積み重なる喜びを感じながら、日々仕事をしていましたね。
土日はもちろん、平日も朝早くから夜遅くまで勤務する日々で、毎日会社から徒歩5分のマンションにシャワーを浴びに帰るだけという毎日。
それでも、大好きな仲間と仕事終わりに一緒に食事をしながら、楽しく笑いあえればそれでいいと思っていました。
── 仲間も仕事も大好きだったことが伝わってきます。ただ、海外に目を向けたということは、何か転機や考え方の変化があったと推測します。柳沢さんの中で一体何があったのでしょうか?
働き詰めの生活を10年近く続けてみて・・・心身ともに健康ではあったものの、「この働き方や生活をずっと続けるのは難しそうだ」とふと思う日が来たんです。
それを機に、会社とも少し話し合ってみましたが、最終的に同じ会社で働き方を変えるのは難しそうだと感じました。
環境を変える決断をしたとき、一時は国内の同業界で転職しようとしました。
ただ、日本の広告業界全体に長時間労働の傾向が少なからずあり、仮に転職しても状況は変わらないと思ったんです。
── 国内で転職したところで、根本的な問題解決にならないと判断し、アジアに目を向けることにしたんですね。それまで海外には関心があったのでしょうか?
社会人になってから、タイやベトナムをはじめとしたアジア各国を旅行で何度か訪れていました。
アジアの活気に触れる中で、将来こんな風にエネルギッシュな環境で仕事ができたら、きっと楽しいだろうな・・・という思いは当時から漠然とありましたね。
もしアジアへ行くなら「今」だと思い、移住を決意しました。
── なるほど。数ある国の中でインドネシアを選んだのはなぜですか?
実は・・・インドネシアを選んだこと自体に明確な理由があった訳ではなく、アジアの国ならどこでもいいと思っていました。
日本ではなく、海外に身を置く決断をした段階で一度大きく環境を変えており、万が一最初の国で上手く適応できなければ、他の国で挑戦すればいいと思っていましたし・・・。
もちろん、海外就職を視野に入れ、情報取集を始めた段階で、インドネシアが将来的に非常に有望な国であるとは思っていました。
人口が世界第4位、平均年齢も29歳と非常に若く、30年後に日本のGDPを超えるかもしれない・・・など、今後の成長可能性に大きく期待できそうだったので。
よって、転職活動自体も最初からインドネシアに絞らず、アジア各国の転職エージェントに登録して進めていました。
── 成長著しいアジアのうち、ご縁のある国で働こうというお気持ちで、転職活動に臨まれていたんですね。
当時ひとつだけ譲れない軸として持っていたのは・・・「職種」でしたね。
長年Webマーケターとして勤務しており、「一生の仕事にしたい!」と思うぐらい仕事が好きだったので。
ただ、アジアの国々で圧倒的に求められているのは営業職で、Webマーケターの求人はあまりなく・・・。
何度か営業職での応募を勧められたこともありましたが、折れることはなかったですね。
最終的にある転職エージェントの方が、各国のWeb・IT系の日系企業に1社ずつWebマーケターのニーズがないか電話で問い合わせて下さったんです。
その結果、ご縁あって前職のPT. Excite Indonesiaに就職する運びとなりました。
「何もかもが新しくて楽しい!」人生を変えたインドネシア就職
── インドネシアの前職ではどのようなお仕事をされていたのですか?
前職はExciteのインドネシア拠点であり、既に運営していたポイントサイト以外に、日本で行っているメディア運営事業をインドネシアでも積極的に展開しようとしていました。
僕はシニアマネージャーとして、社内のメディアチームとインドネシア人のスタッフとともに、メディアをどんどん拡大するところに携わっていましたね。
あとは、海外支社として日本本社への報告業務を担ったり・・・。
メディア運営における分析は一人でもできますが、データを基に一緒にコンテンツを作り上げていく際にはライター・編集者・デザイナー・エンジニア・・・など、いろんな方を巻き込む必要があります。
実際にメディアのコンテンツはインドネシア語で書かれており、僕自身は校閲に関われないので、担当のインドネシア人スタッフと英語でコミュニケーションを取りながら、全員で求められるコンテンツが作れるようにしていましたね。
── なるほど・・・専門的な内容を英語で説明するのは大変難しそうですが、何か工夫等はされていたのでしょうか?
僕自身も流暢に英語を話せる訳ではありませんでしたし、インドネシア人スタッフに関しても英語力には個々人ばらつきがありました。
実際最初の1〜2ヶ月ほどは苦労したので、どうすれば上手く伝わるかにはかなり悩みました。
考えた末、口頭だけで伝えるのではなく、PowerPointやExcelを使って視覚化することにしたんです。
可視化すると理解度も深まる上、タスクも一緒に書き込んでおくと、仕事をストーリーとして理解してもらいつつ、タスク管理もできてよかったですね。
── 最初はやはり苦労されましたよね。そして素晴らしい工夫、参考になります! 他に何か難しさや大変さを感じる部分はありましたか?
よく異文化マネジメントに苦労される方がいらっしゃいますが、幸いにもインドネシア人スタッフは非常に素敵な方々ばかりでした。
インドネシア人女性との結婚を控えており、途中からムスリムに改宗したのも大きかったですね。
仕事上の立場はマネージャーではありましたが、同じイスラム教徒としては僕の方が後輩なので、彼らから教わる姿勢を常に忘れないようにしていました。
異文化で働く中で、尊敬されることが大事なのではなく、一緒に成果を出すことが何よりも大切です。
成果を出すために、距離感が必要なら作ればいいのですが、そうでなければ不要だと思っています。
僕は距離を縮めた方がいい仕事ができると思ったので、呼び捨てで呼んでもらえるようお願いするなど、距離を縮める努力はしていましたね。
── こちらも大変参考になるお話ですね。当時の仕事におけるやりがいや楽しさについても教えて頂けますか?
業務内容は日本と変わらなかったので、環境の新しさによる楽しさが何より大きかったですね。
英語を使って仕事をする、日本とは違う海外で生活しながら、異文化で日本人以外の方と働く・・・見聞きするものすべてが新しくて、ワクワクしていました。
また、定時で帰るという働き方を初めて経験しました(苦笑)。
元々僕は勉強も大好きなので、自己投資に充てられるような時間を多く持てるようになったのはよかったですね。
当然趣味や余暇を楽しむ時間も十分に取れましたし・・・。
── 日本を飛び出すきっかけにもなった働き方も改善され、新しい環境で充実した日々を過ごしていたように思いますが、なぜ起業するに至ったのでしょうか?
インドネシアに就職した段階では、「アジアで大好きなWebマーケティングの仕事をすること」だけを譲れない軸とし、高い給与や待遇については後から掴みとればいいと思っていました。
ちょうど1年ほど勤務したタイミングで給与交渉をしてみたところ、本社採用に切り替わらない限り、給与は上がらないという事実を知ったんです。
一方、本社採用だと、日本の人事システムに組み込まれてしまうので、帰任の可能性もあります。
当時既に現在の妻と結婚を考えている段階でしたし、インドネシアも大好きになっていたので、離れたくなくて・・・。
最終的に現在の妻と起業し、今に至ります。
インドネシアで起業!海外リモートワークで仕事も働き方も理想のカタチへ
── 起業にはそんな背景があったんですね! 現在の事業について教えて頂けますか?
これまでのWebマーケターとしてのスキルと経験を活かし、日本にある日系企業様からメディア運用の案件を頂き、リモートワークでお手伝いさせて頂いております。
一部インドネシアの企業様から案件を頂いてもいるので、そこに関しては外注でインドネシア人の方にお願いをしたりもしています。
一方、クライアントワークでお客様をお手伝いできることにやりがいは感じるものの、僕自身のビジネスを持ちたい気持ちもあります。
自力でメディアを立ち上げてみるなど、少しずつ試行錯誤を繰り返しながら進んでいますね。
今は基本的に僕が動かないと、事業が止まってしまう状態というのが正直なところですが、最終的に収益源を分散させ、僕がいなくても事業として成り立つ状態を築き上げていこうと思っています。
── 起業されてからは基本的にリモートワーク、大好きなWebマーケティングのお仕事にも関われていて、日々充実しているかと思います。起業してよかったと感じるところはありますか?
すべてが自分の努力次第で手に入るところに働きがいを感じます。
前職を退職した理由とも繋がりますが、「現地採用社員」という枠があるので、得られる収入に上限があるなど、組織で働いていると一生懸命働くだけでは手に入らないものがあります。
今は収入も頑張った分だけ増えますし、働く場所や受ける仕事、働き方・・・自由に決められるところが魅力的で、頑張る原動力にもなっています。
── なるほど。逆に、難しさや大変さはありますか?
一方、「すべてが自分次第」なので、成果を出すための努力が大変だったりしますね(苦笑)。
新規のお客様を開拓するための営業活動、メディアの分析やお客様へのフィードバック、請求といったすべての業務フローはもちろん、その過程における全責任を負う必要がある訳です。
当然失敗してもすべて自分の責任で、会社員時代のように謝ってくれる上司がいる訳でもなく、収入が減る可能性だってあります。
また、今はクライアントワークが大きな収入源で、自分の事業がないので、どこかで手を抜くとどんどん悪い方向に転がってしまいます。
よって、常に緊張感を持って努力をし続ける必要があり、その上決して中途半端な努力ではダメで・・・楽しくもありますが、大変な部分でもありますね。
── 「すべてが自分次第である」ことが楽しい反面、難しさにもなっているんですね。日々のお仕事の中で心掛けていることはありますか?
成果を出してお客様にご満足頂けるよう、受ける仕事は選んでいます。
組織で働く場合と違って、不得意な仕事をフォローしてくれる人はおらず、それでは成果も出せません。
基本的に僕が得意とする仕事のみを引き受け、最大限の成果が出せるよう日々心掛けていますね。
── 元々日本で働き方に行き詰まりを感じてジャカルタに移住し、現在は以前と比べて、理想的な働き方や暮らしを手に入れられたと思います。その秘訣やコツは何かありますか?
「何事も行動してみないと分からない」ということは意識しています。
リモートワークやフリーランスという働き方も含め、世間的に良しとされているものが本当に自分に合うのか否かは分かりません。
まずは実際に行動し、試行錯誤しながら進んでみることを常に心掛けていますね。
繰り返しになりますが、僕には「クライアントワークだけでなく、自分のビジネスを持ちたい」という思いがあります。
これも「自分のビジネスがあれば・・・」と夢想するだけでは現状から抜け出せないと思っているからこそ、手元にある収入の中で独自のメディアを作ってみるなど、日々模索を続けているんですよね。
── 確かに・・・今日のお話を通して、現地採用社員として企業でご勤務されていた頃から日々様々なことを考えながら、ご自身で行動を積み重ねてこられた様子がたくさん窺えました。
頭の中で考えるだけでは何も変わらないので、とにかく行動してみることが大切ですよね!
海外就職も同様で、実際に海外に出るからこそ分かることだってあります。
僕もインドネシアで生活してみて気に入ったので、今もここで生活していますが、当然合わない可能性だってあった訳ですよね。
先程もお話しましたが、実際に生活してみて、万が一合わなければ他の国に移ろうとしていましたし・・・。
働き方に関しても同じです。
実際リモートワークに挑戦し、「やはり誰かと一緒に働ける環境がいいから、会社員に戻ろう」と思ったかもしれませんが、結果的に僕の場合はリモートワークが気に入ったからこそ、日々頑張り続けられています。
すべて「必ずしも上手く行くかどうかは分からないという前提の下で、行動し続けたからこそ見えたもの」だと思っています。
もし挑戦して仮に失敗しても、何かしら得た気付きがあるはずで、それを基に軌道修正していけばいいと僕は思いますね。
気になる今後と海外で働きたい方へのメッセージ
── 大変参考になるお話、ありがとうございました! ご自身の今後についてはどのようにお考えですか?
新規顧客獲得のための営業活動など、業務の一部のみを僕が担当し、究極的には僕がいなくても問題なく会社が回る仕組みを作りたいですね。
収入源・収益源を分散させるというお話を繰り返しさせて頂きましたが、老後の選択肢を広げるために日本の国民年金も支払っています。
が、ご存知の通り年金が想定通りに支給されるかは分かりませんし、老後のインドネシアは今よりさらに物価も上昇すると予測されています。
そうなると、老後もずっと働き続ける必要があると思っていて・・・そのためにもインドネシアだけで回るビジネスや仕組みを築き上げていきたいですよね。
── やはり今はご自身で何かビジネスを作り上げることが最大の目標なんですね。 最後に、海外で働きたい方へのメッセージをお願いします!
日本での就労経験で学んだ仕事の進め方、日本で積み上げた経験が今にすごく活きていると思っています。
インドネシアの方々と肩を並べて仕事をしたときはもちろん、海外リモートワークという形で日本人のお客様と関わる中でも、これは強く感じますね。
日本での就労経験を通して、自信を持って「できる!」と思えるスキルや知識を身に着けることが大切だと思います。
よって、新卒で海外就職もひとつの選択肢ではありますが、「海外で活躍する」という目標を常に念頭に置いきながら、日本で仕事と真摯に向き合って欲しいと思います。
一方で、日本ではなかなか仕事が選べなかったりもします。
その場合でも、まずは腐らずに目の前の仕事に120%で取り組んで欲しいと思います。
どのような実務的なスキルが身につくかはさておき、仕事を続ける中で「仕事力」は身につくと思うので。
まとめ
いかがでしたか?
「何事も行動してみないと分からないので、常に行動を続けることを意識しています」
日本でふと疑問に思った働き方を変えるべくアジア就職を果たし、インドネシアで出会った奥様と起業。
その過程で、ご自身が心から納得の行く生き方・働き方を見つけた柳沢さんの姿、とても素敵だと思いませんか?
「頭の中で考えてみるだけでは何も変わらず、行動したからこそ得られる気付きがある」というお言葉も、なかなか一歩を踏み出せない方に勇気を与えてくれると感じました。
また、行動を続ける姿勢だけでなく、インドネシア人の方々と共にお仕事をする中での柳沢さんの取り組みや考え方、これから海外に出ようとする方々にとってきっと参考になるはず。
そんな柳沢さんは海外リモーワークをする中での気付きやインドネシアで生活する中で感じたこと、必要な心構えをnoteやTwitterで発信されておられます。
私自身、いつも大変参考にさせて頂いているので、是非ご覧下さい!
柳沢さん、この度は貴重なお話をお聞かせ頂きまして、誠にありがとうございました。
今後の益々のご活躍と事業の益々のご発展を心より祈念しております。
*今回ご紹介した柳沢さんのTwitterは>こちら
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