「エンターテインメントにおける交流を通して、日本とインドの架け橋に」インドで挑戦を続ける金田彩花さんの奮闘記
「エンターテインメントにおける交流を通して、日本とインドの架け橋になる」
これは、今回お話を伺った金田彩花さんの揺るぎない思いです。
金田さんは大学卒業後、日本の番組制作会社に入社し、一時は憧れだった女優に転身。
女優として、周囲とは違った分野で秀でるために、インドに関する発信を始めたのがきっかけで、「インドで働く」という選択肢を知ります。
そこからインドへ渡り、大好きなインド映画のお仕事に携わったのがきっかけで、今の揺るぎない思いを見つけ、インドで挑戦を続けておられます。
金田さんが揺るぎない思いを見つけられたのは、紆余曲折はありながらも、そのときどきのご自身の思いにしたがって、行動を積み重ねてきたからこそ。
そんな金田さんの姿から、キャリアの切り拓き方や自分軸の見つけ方に加え、チャレンジを続ける大切さを感じられるはず。
ぜひ最後までお読みください!
*本文中のお写真は、すべて金田さんご本人からいただいたものです。
大学卒業後、日本の番組制作会社に就職し、NHK Worldの番組ADとして約3年間勤務。その後、幼い頃からの夢を叶えるため、芸能事務所に所属し、女優を目指して活動。何か自分にキャラをつけようとインドについての発信を始め、3回目のインド旅行で「インドで働く」選択肢を知る。その後、インドでの海外インターンを経て、インドで自社コンテンツを発信する会社に就職。2018年にイベント制作会社へ転職し、現地採用としてインドで勤務するかたわら、フリーランスとして多岐にわたってご活躍されている(なお、本記事は2020年6月時点の内容です。金田さんは現在、フリーランスとしてインド映画での日本人俳優のキャスティングやコーディネーション、映像制作、イベントMCやリポーター、ナレーション等に携わっておられます)。
*金田さんのブログ「わたしがインドに住む理由」の自己紹介記事をもとに執筆。
目次
「もっと自由に生きていい」と気づくきっかけをくれたインド
── とてもユニークなご経歴ですね! 海外にはもともと関心があったのでしょうか?
もともと海外で働くことに関心があった訳ではありません。
ただ、大学時代にバックパッカーに憧れていたことがあり、就職活動後にバックパッカーとして東南アジアとインドを廻りました。
当時からインドだけは掴みどころがなくて、少し気になる国でした。
海外との接点が増えたという意味では、就職先の番組制作会社で「NHK World」の番組ADを務めたことが大きいかもしれません。
── 最初のキャリアで番組制作会社を選んだ背景について、教えていただけますか?
もともと「誰かにストーリーを届けるような場所で働きたい」と思っていたからです。
学生時代の私は文化祭で張り切るタイプで、演劇では率先して監督と役者を同時に務めていました。
当時から漠然と「モノをつくり、人に届けたい」と思っており、マスコミを中心に就職活動を進めました。
縁あって番組制作会社に入社しましたが、まさか「NHK World」を担当する部署に配属されるとは思っておらず、最初は「日本の番組を作りたい!」という尖った反抗心や抵抗感もありました。
今振り返ると、さまざまな関係者とコミュニケーションを取りながら、全体を見てプロジェクトを進める力が身についたので、今にも繋がる、とても良い経験だったと思っています。
── そこから、何がきっかけで女優を志したのでしょうか?
2011年の東日本大震災で震災報道を経験しました。
当時は日本の被害状況を唯一リアルタイムで世界に伝えられるのが「NHK World」だったので、強い使命感を持って臨んでいました。
その反面、報道はニュースがないと、仕事もないことから、「人の不幸がお金になる」ことへの違和感や疑問を覚え始めたんです。
それに、学生時代に劇団で演劇をしていたこともあり、もう一度お芝居をしたいという気持ちが強くなっていました。
ただ、番組制作会社に勤めていると、休日が決まっておらず、お芝居をするのは難しい状況だったんです。
「一度きりの人生だし、悔いなくチャレンジしたい!」
もちろん不安もありましたが、若さゆえの勢いもあり(笑)、最終的に一歩踏み出すことにしました。
── 勇気溢れるご決断ですね!
それが、女優に転身してからがとても大変でした・・・。
自分よりもすごい人がたくさんいる世界で、自分は平凡なんだと思い知らされました。
なかなか売れないので、アルバイトを4つ掛け持ちしたりもしていたんです。
そこで、他にライバルがいない、ニッチな分野で秀でることで勝ちに行こうという戦略を立てました。
自分よりスタイルや演技などで秀でている方がたくさんいて、同じような戦い方をしても勝てないと思ったからです。
ただ、好きでなければ必ず限界が来ると思ったので、単にニッチなだけではなく、「自分が好きなこと」という軸は大事にしていました。
そう考えたとき、ふとインドキャラで売っていこうと思ったんです。
インドは、バックパッカーとして訪れたときからずっと気になっていて、日本ではまだそこまで多くのことが知られている訳でもなく、「ニッチでありながら、自分が好きで、他の人に勝てそうなこと」という条件にピッタリで・・・!
── それが、インドで働くことにも繋がっているのでしょうか?
まさにそうですね!
インドキャラで売っていこうとしたとき、私はまだ2回しかインドに行ったことがありませんでした。
その状態でインドについて発信しても説得力がないと思ったので、発信のネタを作るためにインドを訪れたんです。
その過程で、自分の手でパン屋を立ち上げ、営んでいる日本人の方にたまたま現地で出会い、「インドで働く」という選択肢があることを知りました。
また、インドには日本人・インド人を問わず、日本で長く生活してきた私からすると、信じられないような生き方をしている方がたくさんいらっしゃいました。
その姿を見て、「そんな生き方もあるんだ!」と驚くと同時に、肩書きや職業にとらわれず、イキイキと毎日を過ごす姿がとても素敵だと思ったんです。
そう思って、ふと自分のことを見つめ直したとき、思い込みに縛られている自分に気づかされました。
── 詳しく教えていただけますか?
当時の私は、芸能活動に限界を感じていたんです。
単に好きなだけではなく、覚悟を決めて飛び込んだ世界ではありましたが、寝食を犠牲にしてまで今後もずっと続けていけるのか、疑問を感じていました。
それに、演じているときでも、細かい制作のオペレーションが気になることが多く、制作向きなのではという気づきもありました。
それなのに私は、会社を辞めてまでやると言ったから、辞めるわけにはいかないと勝手に思い込んでいたんです。
それがとても苦しくて・・・。
インドでのさまざまな出会いを通して、好きなものや興味のあることが変わることだってあり、そのときどきの自分の心に素直になって、変えていっても良いんだと思えるようになりました。
そこから、インドにいたら、自分に素直に生きられそうだと思い、インドで働こうと思ったんです。
突然やってきたチャンスを見事に掴み、インドに残る決意が固まる
── インドでの就職活動は、どのように進められたのでしょうか?
まずは、インドで本当に生活できるのかを確かめるためにも、インターンとして働くことにしたんです。
インドに行きたいとはいえ、自分が好きなことや興味のある仕事がしたい思いは譲れなかったので、メディア系のインターンをインターネットで探しました。
最終的に、たまたま見つけたフリーペーパーの制作会社で勤務することになりましたが、諸事情あって任期より早く退職してしまったんです。
実際に生活してみて、インドに残りたいとは思っていましたが、身寄りもないので、これからどうしようかと悩んでいました。
だからといって、まったく関心のない仕事をしながらインドに残るのも違う気がしていて・・・。
ちょうどそのとき、ひとつの転機がやってきました。
── 「転機」ですか?
新しい家を探していたところ、とある女性がルームシェアをしてくれることになりました。
その方が勤めている旅行会社に、日本からスタントマンを招いて、インド映画を撮影する案件が入っており、日本人のアテンドが必要でした。
ただ、その方が他のお仕事で忙しく、他に行ってくれる人がいればいいなとお話されたので、「私に行かせてください!」と伝えたんです。
そこから、その方と一緒に旅行会社に行き、インド人の社長に番組制作会社での経験や自分の思いをとにかく熱く語りました。
その結果、一時的なインターンとして、コーディネーターの仕事をいただき、日本人俳優のアテンドをすることになったんです!
インドについて発信していた女優時代、一番好きだったのがインド映画だったので、本当に嬉しかったです。
── 自ら手を挙げる姿勢が素敵ですね!
チャンスは逃すまいという、強い思いがありました。
当時はまだ英語もそこまで得意ではありませんでしたが、任せてもらうためにも、「できます!」と言い切りました。
このとき、言葉にすることの大切さを改めて感じましたね。
インド映画が好きなことは周りに伝えていましたし、完璧ではないにしろ、自分のできることを伝えたからこそ、チャンスが舞い込んできたと思うからです。
特にインドは、まだ日本人も少ないので、少しでもできることや関心のあることを伝えることが、仕事に繋がることもよくあります。
そして、この経験がインドに残るモチベーションにもなったんです。
── もう少し具体的に、教えていただけますか?
今までスクリーンでしか見たことのなかった俳優の方々と会えるだけでなく、対等の立場で仕事をした経験は、言葉で上手く言い表せないほど嬉しいものでした。
もちろん、同じような経験がずっとできるとは思っていませんでした。
ただ、インドに残って、今回のように少しでも自分の思いを口にし続けていれば、また同じようなチャンスがやってくるかもしれないと思ったんです!
「エンターテインメントにおける交流を通して、日本とインドの架け橋になる」
今、私が大切にしている思いは、この経験から芽生えたものであり、最終的にインドに残る決断を大きく後押ししてくれました。
── インドに残る決断をされた後、どのような経緯でインド就職を果たしたのでしょうか?
ここでも、自分の興味関心からブラさず、「インド マスコミ」で検索しました。
そこでたまたま、日本人向けのサービスを行っている中国系企業が、インドに新しくコンテンツ事業部を立ち上げようとしており、日本人を募集していることを知ったんです。
応募してみたところ、運良く採用していただき、入社する運びとなりました。
そこでは、おもにポッドキャストの企画・運営・収録やYouTube動画の制作を担当していました。
ときには一人で、ときにはインド在住の日本人の方をゲストのお招きして番組を収録していて、それが今の仕事にも繋がっているんです。
── どんどん繋がりますね・・・!
本当にありがたいことに、そうなんです!
ポッドキャストを収録していたので、周囲にラジオMCをしていると伝えていると、あるとき、現在の会社でイベントのMCを探しているというお話がありました。
MCの経験自体はありませんでしたが、人前に出たり、ステージに立つ経験をしてきているので、できるかもしれないとお伝えしたんです。
その際、番組制作会社での経験についても伝えたところ、その経験にもニーズがあったようで、企画・運営のお仕事をフリーランスとしてお手伝いすることになりました。
途中から正式に転職のオファーをいただき、現在に至ります。
「エンターテインメントにおける交流を通して、日本とインドの架け橋になる」ために奮闘する今とこれから
── 現在のお仕事について、教えていただけますか?
日系のイベント制作会社で、インドに進出している日系企業や日本の官公庁による、さまざまなイベントの企画から運営までを手掛けています。
イベントの種類はさまざまで、展示会やセミナー、竣工式や記念式典などはもちろん、お客様となる企業の社員向けイベントの企画・運営を担当することもあります。
具体的には、お客様のご要望を伺った上でイベントを企画するところから始まり、施工会社へのディレクション、MCやパフォーマンス時のダンサーの手配などはもちろん、イベント当日も滞りなく運営できるよう、関係各所に指示をしています。
お客様は99%が日系のお客様ですが、手配や運営を進める中で関わるのはインド人の方々なので、英語を使ってやり取りをする機会もよくあります。
── インド人の方との関わりも多そうですね…! 大変なことも多いのではないでしょうか?
たくさんあります(笑)。
なかでも、日本の品質を理解してもらいながら仕事を進めていくことが一番難しいと感じています。
たとえば、こちらがきちんとデザインした上で施工物(イベントで必要なもの)を発注しても、勝手にロゴを曲げる、縦横比を無視するなど、こちらの指示とは違う状態で納品されたりするんです。
日本の「常識」で考えると、イライラしてしまったりもしますが、インド人の方々にとっては当たり前ではありません。
インドの習慣や考え方を理解した上で、自分が伝えていることが「なぜ大切なのか」を繰り返し伝えることを心がけています。
── とても素敵な心がけですね! インドに来てよかったことについて教えていただけますか?
私はもともと、形のないところから何かを作り上げて、人を楽しませることが好きなんです!
大好きなインドにいながら、自分の方向性に比較的近い仕事ができていることに、やりがいを感じています。
会社で任される仕事の幅や裁量権も大きいですし・・・!
仕事に限らず、インドに来てから、すごく自分らしく人生を楽しめている気がします。
インドで生活するにあたっては、きちんと自己主張ができないといけません。
そうすると、主張することが当たり前になってきて、自分の好きなこと、やりたいことをはっきりと主張するようになったんです。
何か主張しても好意的に受け止めてくれることも多く、お互いに許し合う文化があるところも、インドの素敵なところです。
── インドでイキイキとご活躍される金田さんですが、今後についてはどのようにお考えでしょうか?
「エンターテインメントにおける交流を通して、日本とインドの架け橋になる」
今後どのような仕事に携わるにせよ、インドに来てからずっと変わらない思いを実現できるようにしていきたいと思っています。
近年、インドに進出する日系企業が増えるなど、経済面での交流は進んできていますが、インドと日本、お互いによく知らない部分もまだたくさんあると思います。
そこで、エンターテインメントや文化の分野でお互いが交流し、理解を深められるような機会を作ることに携わっていけると嬉しいです。
また、インドに残ることを決めたとき、「思いを口にし続ければ、またチャンスが巡ってくるかもしれない」と思った通り、その後も映画のお仕事に関わる機会が何度かありました(※)。
今後も、大好きなインド映画のお仕事に、引き続き携わっていきたいと思っています。
※この章の冒頭に写真を掲載した、Amazon Prime 「The Forgotten Army」の撮影では、現地のコーディネーションだけではなく、キャスティングから関わられたそうです。
海外で働きたい方へのメッセージ
「心が動いたら、まずはやってみる!」
「海外で働きたい!」と思ったとき、もちろんいきなり海外就職にチャレンジしても良いですが、まずは海外インターンなどで感触を試すのもひとつの選択肢だと思っています。
「本当に自分がしたいことなのか」、「その国で本当に生活できるのか」など、やってみたからこそ分かることがあります。
私自身がこれまで、「やってみたい!」という気持ちを大事にしながら行動することで、失敗もありましたが、「エンターテインメントにおける交流を通して、日本とインドの架け橋になる」という軸が見つかりました。
もちろん、この軸も今後多くの行動を積み重ねていく過程で、変わる可能性もあると思います。
そして、私はそれで良いと思うんです・・・!
「自分が言ったことを貫き通さないといけない」と過去の私も思っていましたが、決してそのようなことはありません。
間違えたと思ったら軌道修正すれば良く、きっとどこかで自分の経験すべてが繋がる日が来ると思っています。
金田さん、今回は素敵なお話をお聞かせいただきまして、ありがとうございました!
なお、本記事は、2020年6月時点の内容をもとに執筆しております。
現在の金田さんは、フリーランスとして、インド映画での日本人俳優のキャスティングやコーディネーション、映像制作、イベントMCやリポーター、ナレーションなど、多岐にわたってご活躍されながら、引き続きインドでチャレンジを続けておられます。
金田さんの今後のご活躍を心より応援しております!