若干24歳でマニラ支社長!将来は「地元東北に貢献する道」を選ぶ、佐藤さんの思いに迫る
「ここで辞めたらきっと悔いが残る」
今回お話を伺った佐藤拓馬(さとう たくま)さんは24歳のとき、フィリピン・マニラで支社長に就任しました。
そんな佐藤さんは“はじめて”尽くしの状況で、さまざまな困難にくじけそうになったこともあったそうです。
しかしながら、支社長として社員の生活を背負う責任感、投資してくれた会社への強い貢献意欲を胸に、自分を奮い立たせてきました。
- 佐藤さんがマニラで挑戦し続ける原動力とは?
- マニラで勤務した経験を今後どのように活かしていくのか?
苦難を乗り越えるために奮闘する佐藤さんの姿から、逃げ出したくなるような状況でも、自分のありたい姿や夢の実現に向けて、頑張る勇気をもらえるはず。
*本文中のお写真はすべて佐藤さんご本人からいただいたものです。
大学時代に休学し、セブ留学を経て、オーストラリアでのワーキングホリデーに挑戦。大学卒業後は、主にスマートエネルギー設備の販売や施工、内装や店舗コンサルティングなど、幅広い事業を手がけるベンチャー企業へ就職。2017年、入社2年目・24歳の若さでマニラの支社長に就任。現在はフィリピン人社員7名とともに、フィリピンにおける太陽光発電設備とダーツマシンの販売・普及に向けて奮闘中。マニラ在住歴は3年目。
*当日伺ったお話と過去の取材記事をもとに執筆。
目次
海外に目を向けたきっかけは「出会い」と「震災」
── 大学時代から語学留学やワーキングホリデーなどで海外に滞在、今もマニラでお仕事をされている佐藤さんですが、もともと海外にご関心があったのでしょうか?
父がサーフィン用のウェットスーツを製造する工場を経営しており、海外に行くこともありました。
僕自身も中学時代に父と一緒にアメリカへ行き、現地工場の視察や展示会に参加したんです。
これが海外に出ることに関心を持つ、潜在的なきっかけだったと思います。
ただ、直接的なきっかけとなったのは、大学時代にさまざまな大人たちと出会ったこと、そして東日本大震災ですね。
── もう少し詳しく教えていただけますか?
まず、さまざまな大人たちに出会う機会があったのは、進学した大学の恩師のおかげです。
恩師とはサーフィン繋がりで意気投合し、一緒にさまざまなイベントに参加しました。
イベントには県外からの来場者も多く、それを機にもっと外の世界に目を向けたいと思い始めたんです。
ほかには、国内外で活躍する方々による講演会を開催する、学生団体を運営していた先輩の影響もありました。
たまたま講演を聞いたジャーナリストの方の影響で、長期休暇を使ってカンボジアのスタディーツアーに参加することにもなったんです。
── 本当に多くの方と出会い、影響を受けてきたんですね!
もうひとつの東日本大震災は、宮城県出身で、福島県の大学に進学した僕にとっては、本当に大きな転機でした。
ちょうど大学入試の前日に被災し、地元も進学先も大変な状況の中で、大学に進学したんですよね・・・。
そのような背景もあり、大学時代はオーストラリアとモンゴルで、東北の被災・復興の状況について現地の方々にシェアするプログラムに参加しました。
ただ、当時はまったく英語ができなかったので困りました。
特に、オーストラリアではファストフード店でまともに注文すらできず、その悔しさから英語を学ぼうと思ったんです。
実際に海外に出るようになったのをきっかけに、漠然と留学に行きたいと思うようになりました。
いろいろと調べた末に、セブ留学を経て、オーストラリアでワーキングホリデーに挑戦することにしました。
── 留学後は海外で働きたいと思っていたのでしょうか?
就職活動の段階では、海外で働くことを強く希望していた訳ではなく、「機会があれば」程度に伝えていました。
むしろ最終的に地元に帰りたいので、「東北に拠点を立ち上げたい」と伝えていたぐらいです。
東日本大震災を受け、もともと持っていた地元への思いがさらに強くなりました。
弊社の基幹事業であるスマートエネルギーについても、原発問題を受け、ずっと関心があったんです。
ただ、最初に「機会があれば」とは伝えていたので、入社1年目でマニラ赴任のお話をいただいたときは、ためらわずに飛び込むことにしました。
*なお、入社の経緯やマニラ赴任が決まったときのお話は、こちらのインタビュー記事をご覧ください。
入社2年目でマニラ支社長に!“はじめて”だらけで何度も「辞めたい」と思う
── 24歳の若さで海外拠点の責任者に! 大きなチャンスではありましたが、その分大変なこともあったのではないでしょうか?
おっしゃる通りです。
今だから言えますが、前回取材していただいたときは心身ともにとても辛かったですね。
「辞めます!」という言葉が喉元まで出かかっては止める、という時期が半年ほど続きました。
環境はもちろん、業務内容にも“はじめて”のことが多かったので、何かと苦労しました。
というのも、日本では、個人投資家に対して太陽光発電設備を販売するという、個人向けの営業に携わっていました。
一方、マニラでは企業の下請けとして進める案件もあり、それに伴う相手先との調整や交渉が求められることが増えました。
かなり細やかさが求められるため、神経をすり減らすことも多く、だんだん心身ともに疲れ果ててしまったんです。
── 環境だけではなく、業務内容も大きく変わったことで、とても苦労されたんですね。
とはいえ、リーダーである僕が動かないと、仕事は何も進まないという状況でした。
社長である僕には部下もいて、自分の仕事に部下の生活がかかっている訳です。
だからこそ、なんとか自分を奮い立たせて頑張ろうと思ったものの、心と身体が上手くついてきてくれず、とても葛藤しましたね。
── そこで逃げずに頑張り続けられたのはなぜですか?
「何もできずに帰るのは嫌だ」や「ここで辞めてしまったらきっと後悔する」という気持ちですね。
まず、会社はフィリピン拠点の立ち上げに数千万円単位で投資しています。
その代表という責任も裁量も大きいポジションを、僕は会社から与えてもらっている訳です。
にもかかわらず、結果を一切残さずに、簡単に辞めてしまうと、会社からの信頼を無下にすることになりますよね。
あとは、苦しい時期が続いた頃、社長が掛けてくれた言葉も大きかったですね。
── 社長はどのような言葉を掛けてくださったのでしょうか?
「ここで何も残さずに、どう地元東北に貢献するのか?」という問いを投げかけられたんです。
何かを立ち上げることで、地元に貢献しようと考えていた僕は、ハッとしました。
仮にフィリピンで何も成し遂げられず、実力もないまま地元で何かを立ち上げようとしても、できることは限られるでしょう。
社長は僕の考えは単なる逃げだと指摘した上で、フィリピンで培ったことや会社の基盤を使った方が、より大きな規模感で地元に対して貢献できると教えてくれました。
この話が腑に落ちたこともあり、「フィリピンで培ったことを活かして、地元に貢献したい」と思うようになりましたね。
── 大変説得力のある言葉ですね。
そこからは、半ば無理やりでしたが、自分の中で意識改革をしました。
わざわざフィリピンに身を置いて、事業を作り上げる意義をじっくりと考えたり・・・。
その過程で、社員の生活を今より豊かにし、フィリピンの発展に貢献することが僕の使命であり、そのような意識で動いた方がいい方向に進むと思ったんです。
もちろん、意識を変えたからといって、すぐにすべてが上手くいった訳ではありません。
フィリピンで外資系企業が工事業に参入するハードルは高いですし、初期投資を嫌うなど、日本とは違うフィリピンの投資に対する考え方など、乗り越えるべき壁はたくさんあり、その都度試行錯誤を続けてきました。
最近になって、やっと集客のスキームが少しずつできあがるなど、いろいろと前に進むようになりましたね。
壁を乗り越えた先に広がる、夢に繋がる道筋や可能性
── 現在のお仕事について教えていただけますか?
多岐にわたる事業を展開する日本本社のフィリピン法人として、太陽光発電設備の販売・施工事業と店舗コンサルティング事業をフィリピン国内で展開しています。
太陽光発電設備事業では、電気代が高く、電気が普及しきっていないフィリピンで、太陽光発電による豊かな暮らしづくりを目指しています。
一方、店舗コンサルティング事業では、ダーツマシンの導入はもちろん、導入したマシンを使っていかに売上を伸ばすかを提案しています。
フィリピンはまだ若者の遊び場が少ないので、ダーツで楽しめる場を作ることで、少しでも幸せになる人を増やしたいと思っています。
僕自身は現地法人の代表取締役として、7名の現地スタッフと一緒になって組織作りをしながら、プレイヤーとして営業の第一線でも活動しています。
ほとんどの場合、営業はフィリピン人の営業担当者や電気工事士と一緒にチームを組んで動きます。
社内はもちろんですが、営業先も7割がフィリピン企業なので、英語の使用頻度はかなり高いですね。
── 営業先の7割がフィリピン企業とは・・・意外でした。
長い目で考えたとき、フィリピンの経済を回していくのはフィリピン資本の会社です。
そう考えると、現地の市場や企業に目を向けて動いた方が、将来的にビジネスとして伸びると思うんです。
また、最近集客ツールとしてFacebookを使っていますが、お問い合わせのほとんどを現地の企業様や個人のお客様が占めているというのもありますね。
フィリピンはFacebook広告の効果が日本の3倍ほどとされており、単価が安い割には見込みを獲得しやすいんです。
── お仕事のやりがいについて教えていただけますか?
拠点の責任者として事業を作り上げていくので、日本で一社員として仕事をしていた頃よりも、圧倒的なスピードで成長していると思います。
これについては、年齢によらず活躍できるチャンス、「やりたい!」と思ったことを実現できる環境を与えてくれている会社に対して、感謝が尽きません。
また、日本と比べてまだ整っていないところも多く、ビジネスチャンスに溢れていると感じます。
学生時代に「“不”がつくものを解消することこそがビジネスの存在意義」だと学びました。
フィリピンは日本と比べて、まだ「不便」なところがたくさんあり、それだけチャンスや可能性が広がっていると思うんです。
── 可能性がどんどん広がる環境で、イキイキとお仕事をされる様子が伝わってきました。ほかに、マニラに来てよかったと感じることはありますか?
主な使用言語が英語になったのはすごく良かったですね。
日本語を使っていると、自然と周りに気を遣った言い回しをしてしまいますが、英語では思ったことを素直に伝えられるので。
そういった意味でも、フィリピンの方々と一緒に仕事をするのは面白いですよ!
彼らは変に回りくどい言い方はせず、言いたいことをはっきりと伝えてくれるので、とても付き合いやすいと僕は思っています。
── 逆に、難しさはありますか?
これは以前お話したときと変わりませんが、時間の感覚が違うことには苦労していますね。
弊社スタッフについては優秀な人が多く、不満はありませんが、取引先には平気で納期を過ぎる企業もあります。
結局、そのしわ寄せは僕たちに来るので、あらかじめ納期を長めに見てお客様に伝えるなどの工夫が必要です。
どうしても日本と比べてしまうかもしれませんが、日本基準を求めてはいけません。
仕事のみならず日常でも、コンビニやスーパーのレジで大行列ができる、激しい渋滞など・・・ストレスに感じることはたくさん出てきます。
毎回イライラしては身が持たないと思うので、ある程度寛容でいることが大切だと思います。
── これまで紆余曲折もあったと思いますが、佐藤さんがマニラで頑張り続ける原動力について教えていただけますか?
まず、フィリピンで結果を残すことで、僕を信頼し、多額の投資をしてくれた社長に対して恩返しがしたいという気持ちがあります。
厳しい世の中なので、今後本社が厳しい局面に立たされることもあるかもしれません。
そんなとき、本社の売上規模を超えるポテンシャルがあるフィリピンで売上を伸ばすことで、少しでも本社の助けになれたらと考えています。
また、「フィリピン拠点を成功モデルにしたい!」と強く思っています。
弊社も今後は海外展開を進める予定なので、海外拠点を立ち上げるメンバーがフィリピンで一定期間経験を積み、ここでの学びを新拠点立ち上げに活かせるといいですよね。
これは、「地元に貢献したい!」と思っている僕自身のためにもなると思っています。
フィリピンで事業を軌道に乗せれば、きっと東北で事業を立ち上げるときの自信にもなりますし、ここで培ったことが地元の貢献に繋がる部分もたくさんあると思うので。
たとえば、主力産業でありながら、高齢化が進む地元の漁業に対して、日本で働きたいフィリピンの方々を派遣する形でアプローチするなど、「地元」×「フィリピン」の軸でできることもありますよね。
気になる今後と海外で働きたい方へのメッセージ
── 今日のお話から「いずれは地元に貢献したい!」という強い思いが伝わってきました。今後についてはどのようにお考えですか?
フィリピンで培った経験やスキルを活かし、地元に貢献したいと思っています。
そのためには、僕自身がもっと力をつける必要があります。
まずは、フィリピン拠点の事業を軌道に乗せることはもちろん、ここを拠点に他国へ進出できるような仕組みを作りたいです。
他の拠点での展開が進んできたら、プレーヤーではなく、マネジメントに注力する形でアジア統括に関われたらと思っています。
そうすることで、自分の成長やビジネスの拡大のために使える時間を増やし、最終的に地元の貢献に繋げていきたいですね。
── 最後に、海外で働きたい方へのメッセージをお願いします!
それなりの覚悟を持って海外に出てきた方がいいと僕は思っています。
最初はワクワクする気持ちの方が強いかもしれませんが、現実は泥臭いことがほとんどで、そこでギャップを感じてしまう可能性もあります。
だからこそ、ポジティブな側面だけでなく、ネガティブな側面も含め、なるだけリアルな声を集めることが大切だと思います。
あとは、大変なときや苦しいときに踏ん張ることが必要だと思います。
日本にいたって泥臭い局面はあるでしょうし、どこに身を置いても同じです。
「一度逃げると、次も逃げることになる」、僕はいつもそう言い聞かせています。
まとめ
いかがでしたか?
24歳の若さでマニラ支社長に就任し、今年で3年目を迎えた佐藤さん。
途中何度も「辞めます!」という言葉が喉元から出そうになるほど辛い時期を乗り越え、今日まで進み続けてこられました。
その先に見えたのは、「地元に貢献したい!」という思いの実現に向けた道筋や、そのためにマニラで挑戦する意義でした。
苦しい時期や立ちはだかる困難にも負けず、乗り越えてきた佐藤さんのお話から、たくさんの勇気をいただきました。
また、佐藤さんのお話から、海外で働くことは難しさもありますが、可能性とチャンスに満ち溢れていると改めて感じることができました。
佐藤さん、今回は貴重なお話をお聞かせいただきまして、ありがとうございました!
今後のご活躍を心から応援しています!