海外就職成功事例

「パリで美容師として活躍したい!」夢を道しるべに挑み続ける川平さんがインドでチャレンジする理由とは?

「迷いなく人生を歩み続ける道しるべ、持っていますか?」

今回お話を伺ったのは、インド・デリーにある美容室で活躍する日本人スタイリスト、川平謙一(かわひら けんいち)さん。
幼い頃に抱いた、「憧れの街パリで、美容師として活躍したい!」という夢を実現させるために、これまで挑戦し続けてこられました。

ひたむきな情熱と努力で、一時はパリの美容室で働くチャンスを掴み取った川平さんですが、やむをえない事情で日本へ帰国することに・・・。
理想と現実のギャップに苦しみ、失意の底で葛藤を続けた時期もありましたが、起こった出来事をひとつずつ咀嚼しながら、自分と向き合い続けました。

「最終的には、もう一度パリで美容師として活躍したい!」

その過程で気づいた、この揺るぎない想いこそが、川平さんにとっての道しるべ。
ご自身の経験から、なるだけ早く自分の“道しるべ”となるものを見つけてほしいと、みなさんにエールを送っておられます。

ひたむきな情熱と夢に向けてチャレンジし続ける姿は、きっとみなさんの心を打つはず。
夢を追うすべての方に、ぜひ読んでほしい記事です!

*本文中の一部お写真は、川平さんご本人からいただいたものです。

川平謙一さん プロフィール
2005年に愛知県の美容専門学校を卒業後、県内のフランス系美容室でキャリアをスタートするが、約2年で会社都合退職となる。その後、一人旅でフランス・パリを訪れたことがきっかけで、日本とパリを往復しながら、パリで美容師を目指す生活が始まる。約3年間の懸命な努力の末、2008年にパリの美容室で勤務し始めたが、翌年2009年に道半ばで日本へ帰国。以降約8年間再びパリ行きを模索しながら、愛知県内の美容室で勤務。2017年にインドへ移住し、2018年6月より現在のTOKUMI-HAIR from Japan Salon & Beauty Academyでスタイリストとして活躍中。
(本記事は、2020年3月の取材時点での内容です。川平さんはコロナ禍で帰国され、現在は沖縄県でスタイリストとしてご活躍されています。)
*川平さんご本人から頂戴したプロフィール資料(紙媒体)と当日伺ったお話をもとに執筆。

 

「パリで美容師として活躍したい!」思いを胸に、熱く夢に挑み続け、チャンスを掴んだ矢先に・・・

パリで親しい友人たちと撮影した1枚。川平さんは写真中央

 

── パリに対する思い入れの強さが伝わってきました。パリに関心を持ったきっかけについて教えていただけますか?

 

小学校の頃、地理の授業で好きな国について調べる課題が出され、そのときに僕が調べたのがフランスでした。
フランスを調べることにした理由までは、はっきりと覚えていませんが、ちょっとした憧れの気持ちがあったと思います。
課題に取り組む過程で、華やかでオシャレなパリにどんどん心惹かれていき、僕の心は今に至るまでパリ一筋です。

その後、中学校の職業体験で美容師の仕事に触れたのがきっかけで、美容師にも憧れるようになり、単純かもしれませんが、「パリで美容師として活躍したい!」が僕の夢になりました。
友人には「なれる訳ない!」と、よく馬鹿にされたものです・・・。

 

── そのような背景があったんですね・・・!

 

とはいえ、いきなり海外に出るのはあまりにも無茶だと思ったので、まずは専門学校を卒業し、美容師免許を取得しました。
いざ免許を取ると、「シャンプーやカラーぐらいはできた方がいいのでは?」と思い始め、スタイリストになれるまで、一旦は日本で頑張ることにしたんです。
ただ、何かしらフランスと関わっていたかったので、フランス系の美容室を探し、就職しました。

勤めていたお店が2年で潰れてしまったのは想定外でしたが、その後まずは一人旅でパリを訪れたことが、海外生活を始めるきっかけになりました。

 

── そこで、いきなりパリへ行こうと思い立ったのはなぜですか?

 

完全に直感です(笑)!

あとは、当時の職場環境も大きかったと思います。
「パリで美容師として活躍したい!」なんて、一人前になっても、叶えられるか分からないような夢です。
それでも、当時の先輩たちは「行ってみないと分からないよ!」と、まだカットも満足にできない僕の背中を押してくれました。

今の僕があるのは、当時の先輩たちのおかげなので、今でも近況報告は続けています。

 

── そこから、パリの美容室で勤務することになった経緯について、教えていただけますか?

 

2年間勤務していたフランス系美容室では、年に1回パリの本店から招いたスタイリストが講師を務める研修がありました。
その研修で出会ったスタイリストといつか一緒に働きたいと思っていた僕は、旅先のパリで、まずは彼を指名して、髪を切ってもらうことにしたんです。
一通り髪を切り終えて、僕は「ここで採用してほしい!」と彼に伝えました。

残念ながら、彼に採用の権限はありませんでしたが、ありがたいことに、友人としては快く受け入れてくれたんです。
そこから、日本とパリを往復する生活が3年間続きました。
日本にいる間は美容師としてアルバイトをしながらフランス語を勉強し、お金が貯まったらパリへ行き、美容室に潜り込んでは、友人がカットする様子をひたすら目で見て学んでいました。

 

── 3年間も・・・! 途中で心が折れたりはしなかったのでしょうか?

 

差別を受けたり、嫌なこともたくさんありましたが、そこで心折れるよりも、「パリで美容師になるんだ!」という気持ちの方が圧倒的に強かったんです。
あとは、よく周りからも言われましたが、無謀さが通じる若さもあったと思います(笑)!

最終的には友人の後押しもあり、パリの美容室で働くチャンスを手に入れました。
いつも家族のように接してくれた友人は、当時の僕にとって大きな支えでもあり、今でも本当に感謝しています。

今振り返ると、良くも悪くも周りの意見には耳を傾けず、自分の思いをとことん貫き通したことが良かったと思っています。
飲みに行く度に「ぜひ一緒に働きたい!」と伝え続けた僕の熱意には、友人も驚いたと言っていました。

 

── 念願叶って、パリで美容師に・・・! きっと充実した毎日だったと思います。

 

長年の夢が叶って、幸せの絶頂でした・・・!
大好きな国で、自分が心から夢中になれる仕事ができている時間が、たまらなく素晴らしく、毎日があっという間に過ぎていきました。

日本人とフランス人とで「美」への感覚もまったく違います。
フランス人は髪に対して自分なりのこだわりを持っていて、そこに美容師は一人のアーティストとして、どのような味を出せるかが試されます。
日本のように、流行りの髪型や似合う髪型を提案しても、却下されてしまうんです。
最初の頃はお客様に受け入れられないような時期もありましたが、それも勉強だと思っていました。

ただ、楽しい時間も長くは続きませんでした。
フランスで働き始めて間もなくリーマンショックが起こり、外国人労働者への規制が厳しくなってしまったんです。
それ以上フランスに滞在することは叶わず、やむなく帰国することになりました。

 

挫折を乗り越え、手にしたのはインド行きの切符。待ち構えていたのは・・・またしても苦難だった。

 

── とても残念だったと思います・・・。

 

思い返すと、当時は自分の嫌な部分をたくさん突きつけられた時期でした。
日本に帰国後は、パリで過ごした時間が忘れられず、特に同世代の仲間に対して、パリでの経験をひけらかすような態度をとっていたりもしました。

その間もパリへ戻るために、何度も面接を受けるなどして挑戦を続けましたが、結局上手くいかなくて・・・。
思い描いていた理想からどん底に落ち、仕事は続けていましたが、自暴自棄のような状態が長く続きました。

 

── 苦しい時期を抜け出せたのは、何かきっかけがあったのでしょうか?

 

美容師は一生の付き合いになることも多いので、30歳も間近になると、お客様から今後について質問される機会が増えます。
その度に自問自答を続けた末、「もう一度パリへ行きたい!」と思い直したんです。
先輩から「30歳までの失敗なんて、大したことじゃない」と言われたこともあり、失敗してもいいので、とにかく動き続けることにしました。

もちろん、結果は変わりませんでしたが、周りに応援されることが増えました。
最終的に、勤めていた美容室の社長が「フランスの美容室は紹介できないけど、インドにあるフランス系美容室なら紹介できる」と声を掛けてくださったんです。
最初は「え、インド!?」と思いましたが、ゴールがパリなので、西に動くなら悪くないかなと思って(笑)、インドへ行くことを決意しました。

 

── 最終的にインドへ行こうと決断した背景について、もう少し詳しく教えていただけますか?

 

それまでの僕は、愛知とパリという限られた視野の中で、「美」を突きつめてきました。
30代を迎え、少し周りも見えるようになったことで、純粋に他の国に身を置いて、別の角度から「美」を追求してみるのも面白そうだと思ったんです。

また、フランスに移ったときは、何度も訪れていて馴染みのある環境で新生活がスタートしましたが、まだ行ったこともないインドで新しい一歩を踏み出すことに、ワクワクしていました。
30代にもなると、置かれている環境を変えることにかなりの勇気が必要ですが、その恐怖よりも興味が勝ったんですよね・・・!

ここでも周りの意見は聞かず、どうせ否定するなら、チャレンジしてからにしようと思っていました。

 

── 川平さんのワクワクした気持ちや突き進む強さが伝わってきました!

 

ただ、当時インドで勤めた美容室は、結局約2ヶ月で退職することになりました。

日本人がインドのローカル美容室で勤務するなんて、誰もチャレンジしたことのないことで、日本人の方からはたくさん応援をいただいたきました。
ただ、インド人の「美」に対する感覚が短期間では理解しきれず、満足に売上が上げられない僕に対する、インド人スタッフの風当たりはとても強いものでした。

オーナーも含め、全員がインド人という環境の中、僕の味方になってくれる人は誰もいなかったんです。
その状況にとてもショックを受け、失意の底に落ちたまま、一旦日本へ帰国しました。

 

── 辛かったですね・・・。そこで、なぜ再びインドでチャレンジすることにしたのでしょうか?

 

このまま終わったら、自分に負けた気がしたからです。
自分のキャリアに「無駄」だと思う時間ができてしまうことにも、納得がいきませんでした。
だからこそ、たとえ辛い思いをしたとしても、もう一度チャレンジすべきだと思いましたし、1軒の美容室でインド人13億人を判断するのも違うと思ったんです。

そんなとき、今の美容室のオーナーに出会い、現在のTOKUMI-HAIR from Japan Salon & Beauty Academyのデリー店で勤務することになりました。

 

困難を乗り越え、インドで挑戦し続けることで広がった可能性とその先に描く未来とは?

 

── インドに来て良かったことについて教えていただけますか?

 

インドで日本人が経営している美容室は他にないこともあり、日本にいた頃と比べて、お客様から感謝の言葉をいただく機会が増えました。
また、お客様も異国の地で苦労されていることもあり、これまでパリで培ってきた経験や知識にもとづいた僕のスタイルが、日本にいた頃よりも受け入れられていると感じます。

あとは、インドに来てから、美容師としての表現の幅が大きく広がったように感じています。
日本やキリスト教徒がほとんどを占めるフランスとは違い、インドは宗教によっては、髪を切れない場合もあります。
オシャレだけでなく、宗教観が髪型に影響していることに最初は衝撃を受けました。
おかげで、単に流行に合った美しさを追求するだけではなく、人々の生活をベースに髪型をご提案することの大切さを学びました。

それに、蛇口をひねれば水が出るなど、日本にいたころは“当たり前”だと思っていたことにも、きちんと感謝の気持ちを持てるようになり、意固地になりがちだった性格もすっかり丸くなりました。

 

── 逆に、大変なことはありますか?

 

日本と大きく違う環境での刺激を楽しんでいるので、「苦労」とは捉えていませんが、強いて言うなら、文化や価値観、考え方の違いを受け入れること、でしょうか。
インドは日本よりも大きな国なので、自分の意見をしっかりと持たないと埋もれてしまうこともあるからか、こちらの主張を受け入れてもらうのが難しいことがあります。

これについては、職場以外でもインド人の友人との関わりをたくさん持つようにし、彼らを通して現地の文化を吸収できるよう努めています。
おかげで、「美容」だけに限らず、幅広い人生経験ができており、面白みを感じています。

 

── 川平さんがインドで頑張る原動力について教えていただけますか?

 

挫折も含め、これまでの経験をひとつずつ自分の中で咀嚼し、自分が本当にやりたいことを模索する過程で見えてきた、「またパリで美容師として活躍したい!」という思いが、僕にとっての道しるべになっています。
最終的にパリにたどり着けるような経験ができていれば、どこで、何をしていても僕にとっては大事な勉強なんですよね・・・!

 

── 迷いなく突き進む姿、本当に素敵ですね! 今後についてはどのようにお考えでしょうか?

 

これまで僕が活かし続けてきたフランスの感覚は持ち合わせながらも、世界各国のトレンドを取り入れ、いろいろな国のお客様の好みに合わせられる、オンリーワンの美容師を目指したいと思っています。

そう思えるようになったのは、インドに来て、表現の幅が広がったおかげです。
だからこそ、今後もしチャンスがあれば、他の国でチャレンジしたい気持ちもあります。
インドで美容師として経験を積んだのは、オーナーと僕しかいないので、その経験を武器に、今後も世界を舞台に活躍し続けたいと思っています。

そして、最終的にはパリで小さな美容室を自分で開きたいですね!

 

まとめ

いかがでしたか?

「いつかまたパリで美容師として活躍したい!」という思いを道しるべに、紆余曲折はありながらも、チャレンジを続けてきた川平さん。
インドで美容師としての表現の幅を広げながら、夢に向かって進み続ける姿が印象的でした。

 

情報がたくさんあるので、周囲の影響を受けてしまうこともきっとあるはず。
だからこそ、自分の本質的な感情に目を向けた上で、本当にやりたいことをなるだけ早く見つけ、そこに向かう道筋を立ててほしいと思っています。

 

川平さん自身がさまざまな経験を自分の中で咀嚼しながら、「パリで美容師としてもう一度活躍する!」という道しるべを見つけた経験から、次の”誰か”にエールを送っておられました。

 

川平さん、この度は貴重なお話をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございました!

なお、川平さんはコロナ禍で日本へご帰国され、現在は次のチャンスに向けて沖縄県で活動しながら準備をされています。
夢の実現に向けてまっすぐにチャレンジし続ける、川平さんの今後のご活躍、心から楽しみにしております。

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Jiyoung Baek

セブ留学がきっかけで東南アジアの虜に!! フィリピン・セブでの海外インターンを経て、ベトナム・ハノイで海外就職。約2年に渡って大好きな東南アジアで働きながら、旅をする生活をしていました。 現在は自身の海外経験を基に、旅するインタビュアーとして海外で活躍する方々を取材し、「海外で働くとは」について発信することで、海外で働きたいけど一歩踏み出せない方に挑戦のきっかけを作るべく奮闘中。 どんなときもアジアの眩しい陽射しのような笑顔を忘れず、頑張っています! 日々大事にしていること「やらない後悔よりやって後悔、何でもやってみる!」