「誰もしていないような生き方を!」インドで会計事務所を立ち上げた田中啓介さんの軌跡
「誰もしていないような生き方がしたい!」
今回お話を伺った、田中啓介(たなか けいすけ)さんがインドに渡った理由であり、今もなお大切にされている思いです。
大学時代に抱いた「将来は英語を活かした仕事がしたい」という思いを、日本で米系企業に転職することで叶えた後、どこか海外でキャリアアップをしようと考えた田中さん。
他の人とは違った、ユニークな経験ができそうだという期待感から、南インド・チェンナイに渡りました。
約2年間、チェンナイの日系会計事務所で勤務する過程で、インドで長期的に日系企業をサポートする会計事務所の必要性を強く感じた田中さん。
退職後はご自身で会計事務所を立ち上げ、紆余曲折ありながら事業を軌道に乗せられました。
今回はそんな田中さんに、以下の3点についてお話を伺いました!
- インドで挑戦することにした理由とは?
- インドでの起業を成功に導いた秘訣とは?
- インドで働く魅力とは?
どんどん成長するインドで、トラブルも含め、楽しみながらお仕事をされる田中さんの姿から、インドで働く魅力をたっぷり感じられるはず。
ぜひ最後までお読みください!
*本文中の一部お写真は、田中さんご本人からいただいたものです。
南インド・チェンナイ在住の米国公認会計士。京都工芸繊維大学造形工学科卒業。大学在学中に会計の勉強を始め、新卒で中小企業に特化した税理士法人に就職。米国公認会計士試験に合格後、NASDAQ上場米系企業の経理部門に転職。その後、チェンナイにある日系会計事務所での勤務を経て、2014年10月にGlobal Japan AAP Consulting Private Limited.を立ち上げ、代表取締役に就任。現在はチェンナイで日本企業のインド進出やインド事業のサポートをするために奮闘中(なお、本記事は、2020年3月の取材時点での内容です)。
*田中さんご本人のブログと当日伺ったお話をもとに執筆。
目次
「誰もしていないような生き方がしたい!」 田中さんがインドに来た理由
── インド就職後にインドで起業されている田中さん。もともとインドに関心があったのでしょうか?
インドで働くまで、インドには来たことがありませんでした。
インド転職を目指して就職活動をしていた頃も、インドに来たことがないという理由で、なかなか選考を通過できなかったぐらいです。
ただ、海外で働くことや英語を活かした仕事をすることには、ずっと関心がありました。
── 海外に関心を持ったきっかけについて、教えていただけますか?
大学を1年間休学し、ワーキングホリデーでオーストラリアを訪れたのがきっかけです。
じつは僕、大学に進学するときに、“なんとなく”で造形工学科を選んでしまったんです。
いざ入学してみると、周りはみんな幼い頃からデザインや芸術に触れている人たちばかりで劣等感を抱いてしまい、大学生活が苦痛になっていきました。
そんなとき、オーストラリアへ行き、積極的に英語の勉強に励んだことで、英語が自分にとっての小さな武器と言えるようになったんです。
そこから、いずれは英語を活かした仕事がしたいと思うようになりました。
米国公認会計士(USCPA)の勉強を始めたのも、母から資格取得を勧められたときに、英語で取れる資格で、かつ興味が持てそうだったからなんです。
とはいえ、最初は英語とも海外とも無縁の仕事に就くことになりましたが・・・!
── 新卒での就職活動では、なぜ英語や海外と関わる仕事を選ばれなかったのでしょうか?
じつは、オーストラリアから帰国してもう1年休学し、米国公認会計士の勉強をするために、学校に通っていたんです。
残念ながら、結局在学中に合格することができず、「少し英語ができる」以外、特に強みがないまま就職活動に臨むことになってしまいました。
そして、そんな僕が“なんとなく”の憧れで目指したのが、コンサルティングファーム。
当たり前ですが、選考が上手くいくはずはありません。
そんな僕を採用してくれたのが、新卒で入社した税理士法人でした。
── そのような背景があったのですね・・・! そこから、どのような経緯で米系企業へ転職することになったのでしょうか?
税理士法人では、採用していただいた恩を返そうと、がむしゃらに働きました。
ただ、入社2年目を過ぎた頃から、ふと「英語を活かした仕事がしたい!」という思いが再燃し始めたんです。
そこから、一度は諦めていた米国公認会計士の勉強を再開し、合格したタイミングで転職活動をした結果、米系企業の経理部門で勤務することになりました。
そのとき入社した会社は、世界各拠点の経理業務をすべてインド拠点で処理する仕組みを導入したばかりで、僕は日本拠点の窓口として、インド人スタッフと電話やチャットでやり取りをしていました。
直属の上司は台湾人、普段コミュニケーションを取るのはインド人、ミーティングでは各国の担当者と英語を使って話をするという環境で、慣れるまでにはかなり苦労しました。
「せっかく転職したので、なんとかして実績を残したい!」と思って、がむしゃらに頑張り続けるうちに、気がつけば毎日が楽しくなっていました。
── 楽しい毎日を過ごされていたにもかかわらず、なぜインドで働くことにしたのでしょうか?
英語が活かせる環境自体には満足していましたが、「海外で働きたい!」という思いが強くなったからです。
ただ、最初からインドに決めていた訳ではなく、お世話になっていた上司の紹介もあり、一時は台湾でチャレンジしようと思っていました。
そこで結局、待遇面で思いとどまってしまったので、本当に好きな国を選ぶ大切さを痛感したんです。
そこから真剣に悩んだ末、ふと「せっかく行くなら、誰もしていないような面白い経験がしたい!」と思いました。
そこで、どう見ても面白そうに思えたのが、インドでした。
── 「インドが面白そう」だと思った理由を、具体的に教えていただけますか?
ひとつは、市場規模が大きく、今後経済発展すると言われており、成長を実感しやすい環境だと思ったからです。
もうひとつは、米系企業で勤務していた頃にインド人の同僚と働く中で、インドに関心を持つようになったからです。
インド人と仕事をする中で、こちらがお願いした通りに仕事をしてくれないなど、苦労したこともありましたが、彼らの人間性は大好きでした。
なんといっても、リモートワークで、実際に会ったことのない僕にまで、インドから結婚式の招待状を送ってくれるぐらいですから・・・(笑)!
あとは、文法的な間違いをまったく気にせず、常に自信満々で英語を話し、どんどん仕事を進めていく推進力の高さに、知らないうちに惹かれていました。
インドで働く過程で得た確信をもとに、会計事務所を設立! 事業を成功に導いた秘訣3選とは?
── インドでの就職先はどのように見つけたのでしょうか?
なんとかしてインドに行きたいと思っていたので、駐在員・現地採用を問わず、転職先を探しました。
これまで一貫して経理の仕事をしてきたので、経理のポジションや会計事務所を中心に探しましたが、なかなか求人がありませんでした。
そんなとき、たまたまWeb検索をしていたところ、今いる南インド・チェンナイに設立したばかりの日系の会計事務所を見つけたんです。
企業サイトのお問い合わせフォームから連絡をしてみたところ、これから立ち上げるにあたって、インターンスタッフを募集しているというお話をいただきました。
もちろん、これまでずっと正社員として仕事をしてきたので、いきなり給与がなくなることへの不安はありました。
ただ、まずはインドに行くチャンスを掴もうと、その会計事務所でインターンスタッフとして勤務した後、現地採用社員として働くことになりました。
── 田中さんの強い思いが伝わってきました。当時のお仕事はどうでしたか?
インドに進出する日系企業をサポートするために必要な会計・税務・人事労務・法務のサポートを行っていました。
インド人会計士やカンパニーセクレタリー(※)、弁護士といった専門家が実務を担当するので、僕たち日本人は、おもにクライアントとなる日系企業の日本人担当者の方とのやり取りや、納期・品質管理といったプロジェクトマネジメントを担当していました。
勤務していた2年間だけでも、多くの日系企業が進出するのを目にし、インドビジネスへの関心の高さが感じられました。
そして、進出企業にとって、会計や税務、コンプライアンスに関わるサポートができる会計事務所のニーズの高さも感じていました。
それに対して、駐在・現地採用を問わず、多くの会計事務所で日本人スタッフが2〜3年で帰任するのも目にしていました。
その場合、後任の担当者が語学面では問題がなくても、会計などの専門知識がないことがあり、サービスの質に対してクライアントが不満を抱えていることにも気づきました。
専門知識に精通し、インドビジネスの経験やノウハウが豊富な会計事務所が、長期的にお客様をサポートできる体制が求められていると感じたんです。
※カンパニーセクレタリー:会社秘書役。文書管理・株主管理・法令遵守などをおもな任務・権限とする、インド会社法上の会社の機関のこと(「BUSINESS LAWYERS」のHPを参照)。
── それが、起業のきっかけになったのでしょうか?
じつは、そこからすぐに起業した訳ではありません。
当時の僕はすでに32歳になっており、お話したようなニーズの高さを感じながらも、現地採用の給与水準のままで頑張り続けることは、年齢的に厳しいと感じていました。
ただ、もちろん仕事を続けたいとは思っていたので、待遇を上げてもらえないか、一度は社長に交渉してみたんです。
社長は数ヶ月間検討してくれましたが、最終的に希望は叶わず、退職することになりました。
── そこから、どのような経緯で起業するに至ったのでしょうか?
退職直後は日本に帰国するか、インドで転職するか・・・いろいろと考えました。
その結果、せっかく覚悟を決めてインドへ来たので、やはりインドで何かを実現したいと思ったんです。
まずは試しに、インド国内で転職活動をしてみて、インドで2年間勤務した会計士にどの程度の人材ニーズがあるのかを探ることにしました。
何度か転職活動をする過程で、転職活動自体が自分の市場価値を客観的に把握できる、一つのプロセスだと思っていたからです。
その結果、いくつかいい条件でオファーをいただいたんです。
「これだけニーズがあるなら、自分の力で会計事務所を立ち上げてみよう!」
現場で掴んだニーズから、ある程度の確証はありましたが、ここでさらに、背中を押された格好となりました。
── 事業はすぐに軌道に乗ったのでしょうか?
思っていたほど甘くなかったですね(笑)。
インドで長期的に日系企業の進出をサポートできる会計事務所が必要だと思って起業しましたが、当時の僕は、まだ2年しか経験がありませんでした。
2〜3年であれば、インドで経験を積んでいる方は他にもたくさんいるので、それが僕だけの特別な強みにはならなかったんです。
最初の2年間はオフィスは自宅と兼用でしたし、途中からインド人スタッフを2名採用しましたが、なかなかお客様が増えず、焦りばかりが募りました。
それでも、「長く続けていれば、きっとニーズがあるはずだ」と信じ続けた結果、インドに来て4年目(会社設立2年目)ぐらいから、徐々にご紹介をいただくことが増えてきて、今に至ります。
── 事業を上手く軌道に乗せた、秘訣のようなものはありますか?
おもに、以下の3つだと思います。
地道な営業活動:自分の覚悟や思いを伝え続ける
会社設立後しばらくは、たくさんの企業様に訪問し、「インドに進出する日系企業様を、長期的にサポートしたい」という覚悟や思いをとにかく伝え続けていました。
もちろん、お客様は最初からその言葉を信じてくださった訳ではありません。
ただ、あのとき伝え続けたことで、長く事業を続けていくなかで、徐々にその覚悟が日本人駐在員やお客様にも伝わり、ご紹介をいただけるようになったのだと思っています。
また、営業とは少し異なるかもしれませんが、一時期は毎日インドの様子が分かりやすく伝わるよう、ブログ記事を執筆していました。
ありがたいことに、ブログをご覧くださり、お客様になってくださった方もいらっしゃいます。
他社との差別化を意識する
当然ながら、インドには他にも日系の会計事務所があるので、単純な会計サービスの提供だけでは、お客様も価値を見出しにくくなります。
起業当初から「どこにその差別化要因を見出すか」は、常に意識していました。
弊社は「日系企業を応援する会計事務所」として、日本人スタッフが実務をきちんと理解した上で、お客様に対して日本語で適切にご説明できる環境を作り上げられるよう、努力し続けてきました。
「お客様の期待をいかにして超えるか」を常に意識し、業務を仕組み化するだけでなく、手作り感のあるクリエイティブなサービスをつくること、そして、インド人スタッフがその期待値を実感できるコミュニケーションの取り方、チームワークの在り方とは何かを模索してきました。
インド人スタッフ主体の会社づくりを進める
インドで事業をする以上、日本人だけで完結する仕事なんて、ほとんどありません。
よって、インド人スタッフが中心となって、事業を立ち上げていく必要があると考えています。
そのなかで、日系企業のお客様と社内のインド人スタッフの間に入り、お客様のニーズと提供できるサービスのギャップを埋めるのが、僕たちの役割だと思っています。
そのためにも、メールの書き方・言葉の選び方・納期などについて、お客様が求める基準をインド人スタッフに対して徹底して伝えてきました。
一方で、インド人スタッフとなるだけ距離を縮められるよう、社員旅行や誕生日会、定期的な食事会などは積極的に開催してきました。
南インドでは、家族のように密な関係性が社内で求められるという事情もあり、今でも普段から、スタッフに対して僕から積極的に声をかけるなど、ウェットな関係性を大切にしながら、可能な範囲で公私ともに向きあうようにしています。
その結果、創業以来5年間、退職した従業員・お客様からの解約数ともにゼロという記録を達成しています。
インド在住8年目の田中さんが語る、“インドで働く”魅力とは?
── 創業以来5年間、退職者数・お客様からの解約件数ともにゼロ、すごいですね・・・! 今のお仕事のやりがいについて教えていただけますか?
まず、日本で働いていた頃よりも、自分たちの介在価値を感じやすいのが何よりも大きな魅力です。
まだまだこれから発展していくインドには、さまざまな課題があり、需要と供給を一致させるビジネスモデルが極めてシンプルに成り立ちます。
必要とされているサービスを、お客様により近い距離で実現していくことに、やりがいを感じます。
あとは、仕事のスタイルが全然違う、インド人と働くことで、学ぶことがたくさんあります。
インド人はスピード感を大切にしながら、どんどん挑戦していきます。
その過程で、もしミスが起こったとしても、挽回する方法を前向きに考えていくスタイル。
物事への取り組み方が日本と真逆なので、その瞬発力やポジティブさに救われることもよくあります。
── 逆に、難しさはありますか?
インドに限った話ではないと思いますが、支払いの遅滞など、契約の不履行はよく起こります。
日本のように、期日までに契約を履行することが当たり前ではないので、こちらから頻繁にリマインドをする必要があります。
そのためにも、普段から取引先と密にコミュニケーションをとるように心がけています。
インド人のスピード感が頼りになる反面、日系企業にはついていけない部分もあります。
商談後に社内へ持ち帰って、上長に相談するという日本のスタイルは、インドでは受け入れがたく、ある程度意思決定ができる役職者が商談に出席し、その場で決めてしまうぐらいのスピード感がないと、ビジネスは上手く進みません。
お互いに商慣習が違うので、仕方がない部分もありますが、インド人の期待するスピード感を意識することは大切にした方が良いと思っています。
── インド在住8年の田中さんですが、インドに来てよかったことについて教えていただけますか?
外部環境の変化と同時に、自分自身の内的な成長が感じられたことは、とても良かったと思っています。
インドに来て8年間で、日本食レストランが増える、今まで手に入らなかったものが買えるようになる、Uberなどの配車アプリのおかげで移動がしやすくなる、メトロが開通するなど、街の様子は大きく変わりました。
そして、そのようにどんどん成長していく環境の中で、たくさんのスタートアップ企業が生まれ、若い人が失敗を繰り返しながらもどんどん挑戦して、どんどん給料が上がっていく・・・。
周りの姿に刺激を受け、僕自身も物怖じせずにどんどんチャレンジしようと思えましたし、おかげでワクワクする毎日が過ごせています。
── ご自身の経験を踏まえ、海外で働きたい方に何かアドバイスはありますか?
人それぞれ「ワクワクする」基準が違うと思うので、これから海外に出る方には、ぜひ自分なりに“ワクワク”できる環境を探してみてほしいですね!
そのためには、居心地の良さを求めるのではなく、なるだけ喜怒哀楽など、感情の振れ幅が大きな国でチャレンジした方が良いと、僕は思っています。
どうしても居心地が良い環境だと、変化が少ない分、感情の動きも小さくなってしまうと思うからです。
突然の停電で汗だくになる、道路で牛が寝ていて進めないなど(笑)、インドには不便なことやハプニングはもちろん、貧困などの解決すべき課題もまだまだたくさんあります。
その反面、今後大きく成長する環境だからこそ、夢や希望もたくさんあります。
その点、とても刺激的で、面白い環境だと思いますよ!
「誰もしていないような生き方がしたい!」田中さんの気になる今後
── 今後についてはどのようにお考えでしょうか?
まず、会社としては、今は南インドに特化した形で、日系企業様の進出をサポートしていますが、今後はその規模をもっと拡大していきたいと思っています。
あとは、僕自身が現地採用社員として勤務していた頃、「この給与水準では、続けられない」と思った経験があるので、社員には同じ思いをさせないような環境づくりをしていきたいですね・・・!
そうすることで、インドでの実務経験が豊富な日本人スタッフがサポートするという強みに磨きが掛かり、お客様から選ばれることにも繋がると思っています。
── 田中さんご自身については、いかがでしょうか?
「誰もしていないような生き方がしたい!」と思っています。
よく人材としての価値は、スキルや経験の掛けあわせで決まると言われますよね?
今までの「会計」×「英語」×「インド」に、どんどん新しいスキルを掛けあわせて、想像できないような価値を生みだし続けるという、“ワクワク”を楽しみながら生きていたいです。
そのためにも、まずは興味のあることに貪欲にチャレンジすることを心がけようと思っています。
最近だと、IT技術に長年関心を持っていたので、スクールに通いながら、プログラミングを学んでいます。
学んだ知識を活かして、社内システムを自分で作ってみたいですね・・・!
田中さん、この度は貴重なお話をお聞かせいただきまして、ありがとうございました!
なお、本記事は2020年3月の取材内容にもとづき執筆しています。
取材直後、インドは新型コロナウイルスの感染拡大により、世界的にも非常に厳しいロックダウンに突入しました。
そのような中、まずは急務となった、社内コミュニケーション、顧客獲得のための営業やマーケティングのデジタル化に着手されたという田中さん。
2020年4月には、プログラミングの学習と並行して、社内業務プロセスの見える化と効率化を実現するための社内システムの開発に着手されたそうです。
さらに、2020年11月30日には、株式会社INDIGITALを設立。
インド人エンジニアと一緒にウェブサービスやアプリ等のプロダクト開発をリモートで支援するための新規事業をスタートさせておられます。
引き続き、田中さんのご活躍と事業の発展を心より応援しています!