「10年後、後悔しない生き方を!」長年の夢だった海外の建築士として活躍する阿波加さんの今に迫る!
「幼い頃から憧れていた、海外での生活を経験したい」
「長年の夢を叶えるために動き出したい」
今回お話を伺ったのは、マニラで建築士の資格を活かし、リフォームや店舗の内装工事に関わる個人事業主として活動する、阿波加和也(あわか かずや)さん。
阿波加さんは、約7年間日本の住宅メーカーで勤務された後、フィリピンに飛び込みました。
日本で充実した毎日を送る一方、海外で生活することへの憧れが募る日々。
とはいえ、安定した生活を捨てる怖さ、世間体や周囲の目が気になり、一時は随分悩んだそうです。
「10年後、後悔しない生き方を!」
これは、阿波加さんご自身が一歩踏み出したきっかけとなり、今でも大切にされている思いです。
ご自身がたくさん悩んだ末に決断されたからこそ、迷っている読者の方にもエールを送っておられました。
出会いに恵まれ、フィリピンの活気に刺激を受けながら、イキイキとお仕事をされている阿波加さん。
そんな阿波加さんの姿から、一歩踏み出す勇気をきっともらえるはず。
ぜひお読みください!
建築系の専門学校を卒業後、建築物の解体・改修を請け負う会社で約1年間勤務。「新築の建物に携わりたい!」と強く思ったため転職し、約7年間住宅メーカーで現場管理の仕事に携わる。「海外で生活したい!」という長年の夢を叶えるため、2019年4月からフィリピンへ。セブ留学(2ヶ月)、マニラの日系ベンチャー企業で海外インターン(3ヶ月)を経て、現在はマニラでリフォームや店舗の内装工事に関わる個人事業主として活動中。
*当日伺ったお話を基に執筆。
目次
住宅メーカーへの転職が大きな転機。仕事に打ち込み、充実した毎日を過ごす
── 長年「海外で生活したい!」という思いがあったんですね!
何か大きなきっかけがあった訳ではないのですが、小学校の頃から漠然と「海外で生活したい!」と思っていましたね。
ちょっとした憧れだったこともあり、一時は忘れていましたが(笑)。
海外で英語を使って仕事がしたいと改めて思い始めたのは、高校時代でした。
とにかく英語の授業が楽しくて、英語が学べる大学に進学しようと一時は考えていたぐらいです。
ただ、僕の周りには海外で活躍している方がいなくて、海外で英語を使って活躍できる仕事の具体的なイメージが湧かなかったんです。
文系の大学に進学した後の一般的な進路の中に、就きたいと思える仕事もありませんでしたし・・・。
このまま安易に進路を決めてしまっていいものか、立ち止まって考えることにしました。
── 立ち止まって考えた末、建築の道を志すことにしたのはなぜですか?
自分がしたいことを改めて考えたとき、ものづくりが好きだったことを思い出したんです。
小学校の図工の時間はもちろん、家でプラモデルやレゴブロックに触れる時間がとにかく好きで・・・!
それに、幼い頃から建設現場を眺めているのが好きでした。
近所で新築工事があるときは、その様子を飽きもせずに眺めていましたね。
ものづくり、なかでも建物に関わる仕事がしたいと思って、建築系の専門学校に進学しました。
── そのような背景があったんですね。
専門学校を卒業後も、建物の新築に関わる仕事がしたいと思っていました。
ただ、当時は就職氷河期で住宅メーカーからの求人も少なく、そのときの希望は残念ながら叶いませんでした。
そこで、最初の1年間は、建物の解体・改修を請け負う会社で勤務しました。
やがて「どうしても建物の新築に携わりたい!」と、強く思った僕は、転職を決意して、地元の北海道を拠点に展開する住宅メーカーに転職することになりました。
これが僕にとって大きな転機でしたね。
── 「大きな転機」ですか・・・?
応募条件をひとつも満たしていない僕が、奇跡的に入社できたことが大きな転機だったんです。
転職先の会社は基本的に新卒しか採用しない上、大卒以上かつ建築士の資格が必須でした。
一方、当時の僕は建築士の資格もまだ持っておらず、大卒でも新卒でもなくて・・・。
無理だと思いながらも、選考だけ受けられないかと相談したところ、ありがたいことに面接の機会をいただき、最終的に採用していただきました。
おかげで、心から好きだと思える仕事に携わりながら、充実した7年間を過ごせました。
当時採用してもらえなかったら、きっと不本意な思いを抱えたまま20代を終えていたと思うので、とても感謝しています。
その分、入社後は必死に努力しましたね・・・。
給与も待遇も周囲より低い契約社員として地方の拠点に入社しましたが、正社員登用され、最終的には札幌本社で勤務することにもなりました。
── すごいですね! 当時の頑張りの原動力はどこにあったのでしょうか?
自分で決めた目標を達成したいという一心でしたね。
自分のキャリアのためにも、最終的には札幌の本社で結果を残したいと思っていたんです。
入社した段階で、人事部長に「出世できないなら、会社には残りません」と言い切っていましたし・・・。
ここまで言い切る人も珍しかったようで、社長からも「いずれ本社でいろいろ経験させてやろう」と言われていました。
それがまた頑張る原動力になっていましたね。
地元に残りたがる人も多いなか、「いつでも、どこででも挑戦させて下さい!」というスタンスで、全力で仕事に臨み続けました。
── 選考時のエピソードからも分かることですが、自分の意思をはっきりと伝えられるところ、阿波加さんの強みですよね!
自分の目の前の業務を通して、どのようなキャリアを歩んでいきたいかは日頃から伝えておくべきだと思っていました。
いくら同じ会社にいて、ある程度関係構築ができていても、実際口にしないと分からない部分も多いので。
ただ、もともとは内気で消極的な性格で、自分の意思や気持ちを口にすることは苦手です。
だからこそ、ここぞというときにはきちんと伝えられるよう心掛けていましたね。
社会人として仕事をする中で、シャイな性格は全く得にならず、むしろ損だと思ったので。
長年の夢を叶えるために海外で挑戦! セブ留学でフィリピンの虜になる
── 充実した日々を過ごされていたと思いますが、なぜ退職を決意されたのでしょうか?
じつは、以前から「海外で生活したい!」という思いが募っていて、何年も仕事のことで悩んでいたんです。
何年か同じ会社で仕事をしていると、ある程度自分の裁量で仕事を回せるようになります。
きちんとした会社で勤めていたので、それなりに安定もしていて、何も困ることがありませんでした。
一方、海外に出ることを考えた場合、不安でいっぱいでした。
高校で英語が得意だったとはいえ、英会話はできませんし、留学経験もなかったので。
そこに、日本での安定した生活を手放す恐怖もあり、なかなか踏み出せなかったんです。
── 最終的に、何が決断を後押したのでしょうか?
「10年後、後悔しない生き方を選びたい!」という思いからですね。
迷い続けるうちに28歳を迎えたとき、このままだと10年後に後悔する自分の姿がなぜかはっきり見えたんです。
最終的に、いろいろな方にお話を伺い、本やWebからも情報収集をした末、飛び込む決断をしました。
時間を掛けて考えた末に出した結論だからこそ、この選択に後悔はまったくありません。
── 「後悔がない」と言い切られるところ、とても素敵です! なぜ、海外で生活する国として、フィリピンを選ばれたのでしょうか?
最初からフィリピンに関心があった訳ではなく、もともとはオーストラリアで現場監督の仕事をしようとワーキングホリデービザを取得していたんです。
現地の建設会社に直接アプローチし、そこから実績を積んで正社員として採用してもらおうとイメージしていました。
これについては、契約社員として採用され、最終的に正社員登用していただけたという前職での経験が自信になっていましたね。
オーストラリアを選んだのは、「他国と比べて情報量が多く、比較的簡単にビザが取得でき、さらには給与も高い」というシンプルな理由からです。
── 当初はオーストラリアに行く予定だったんですね!
そうなんです。
が、オーストラリアへ行く前に英語を学ぼうと飛び込んだセブで、フィリピンの魅力に惹かれてしまいました(笑)。
平均年齢が低くて活気もある一方、ひどい渋滞や舗装されていない道路といった泥臭い側面もある・・・。
「なんて面白い国なんだ!」と思いましたし、ビジネスチャンスがたくさんあると感じました。
退職を機に、組織に頼らず自分の力で生きる道として、起業を意識していたのもあり、とても魅力的な環境だと思ったんです。
とはいえ、その段階ではまだフィリピンに残るとは決めていなくて・・・。
── 何がフィリピンに残ろうと決意するきっかけになったのでしょうか?
もともとセブ留学の後に予定していた、マニラでの海外インターンが決め手となりました。
インターン先の社長は僕とほぼ同世代ですが、日本でも会社を経営されており、ビジネス経験も豊富で、一緒に時間を過ごすだけでも、とても勉強になる方でした。
マニラでの人脈も豊富で、普段お会いできないような経営者の方をご紹介いただいたりと、社長には本当に良くしてもらいました。
みなさんとお話をする中で、可能性が広がるフィリピンの魅力を感じると同時に、その出会いからたくさん刺激を受けたんです。
「ビジネスチャンスが溢れるフィリピンで、ここでしか出会えない多くの方と切磋琢磨しながら挑戦したい!」
そう強く思ったからこそ、オーストラリアへは行かず、マニラに残ることを決意しました。
マニラで生活する魅力は「ここにしかない出会い」と「経済成長の伸びしろ」
── 現在のお仕事について教えていただけますか?
建築士の資格を活かして、マニラで展開する日系飲食店の内装工事にあたっての検査や工程管理などを、個人事業主として請け負う仕事をしています。
これに付随して、マニラ在住の日本人や日系企業向けにリフォームのサービスを展開できるよう動いています。
現状、自分で積極的に新規開拓をするというよりは、インターン先の社長からお客様をご紹介いただくことが多いです。
特に、海外だと怪しい話があったりもするので、一緒に仕事をする人を探す難しさは少なからずあります。
この点、信頼関係を築いてきた方たちとの繋がりは、本当にありがたく感じていますね・・・!
── 阿波加さんが信頼されているからこそだと思います。信頼を得るために、何か心掛けていたことはありますか?
3ヶ月のインターン期間中、とにかく結果を残すことに全力を注ぎました。
ただ、これは信頼を得るためというよりは、自分が決めた目標をやり切りたいと思っていたからです。
インターン期間中は、コールセンターで日本向けの営業に携わっていました。
そこで、僕は「3ヶ月間で、少なくとも1ヶ月は1位を達成する」という目標を自分に課していたんです。
営業の経験はありませんでしたが、全力で臨んだ結果、1ヶ月は1位を逃したものの、残り2ヶ月については1位の成績を収めました。
当時残した結果はもちろん、そこに向かうまでの姿勢を見ていただけたのではないかと思っています。
── 決めたことは確実にやり遂げる阿波加さんの姿勢、とても素晴らしいと思いました!
ありがとうございます!
「ここで結果を残せないと、海外で起業するなんて無理だ!」と自分を奮い立たせていました。
僕は「目の前のことで結果を残せない限り、何をしても結果は出せない」と思っています。
逆に、自分が本当にしたい仕事ではなかったとしても、そこで結果を出せれば、他でもきっと上手くいくはずです。
だからこそ、「いずれは海外で起業する!」という目標を原動力に、目の前の業務で結果を出すことに徹底的にこだわりましたね。
── とても素敵な心構えですね! 現在の仕事のやりがいについて教えていただけますか?
まだいろいろと模索しているところなので、仕事に対して大きなやりがいを感じる段階まで至っていないのが正直なところです。
ただ、マニラに来て、ここでしか出会えない方々とたくさん出会えたことが何よりの財産だと思っています。
みなさんとお話をする中で、僕自身の価値観や考え方も大きく変わり、多くの学びがありました。
また、仕事も趣味も関係なく、自分が面白いと思えることをとことん突き詰めていきたいという僕の思いに共感し、背中を押してくれる方がマニラにはたくさんいます。
みなさんの存在がフィリピンに残る理由のひとつになっています。
── 「ここにしかない出会い」が阿波加さんがマニラで頑張る原動力になっているんですね!
あとは、日本のように縮小していく市場ではなく、今後伸びる市場で挑戦を続けたいという気持ちもありますね。
フィリピンは今後も人口の増加が続き、それに伴って経済も大きく成長すると言われています。
それだけでなく、僕自身がフィリピンで生活する中で、その勢いや活気を肌で感じてきたところが大きいです。
舗装が不十分な道など、まだまだ不便なところはありますが、そこにたくさんの子供が溢れています。
長期的な目で見た、可能性や伸びしろを強く感じるんですよね・・・!
── フィリピンに身を置く面白さが感じられるお話でした。逆に、難しさはありますか?
フィリピンに残ると決めたときの思いと現実にギャップがあるところでしょうか。
僕は活気と経済成長の可能性に溢れるフィリピンに惹かれ、「フィリピンの方々に、適切な価格でしっかりした住居を提供したい」と思い、フィリピンに残る決意をしました。
ただ、この半年ほど周囲のアドバイスも受けながら、いろいろと動いてみる中で、現地の方向けのビジネスを展開する難しさを感じ始めました。
なぜなら、いくら所得が上がっているとはいえ、ターゲットとなる現地の方の所得がまだ低い上に、文化の違いによる難しさもあるからです。
実際、現地の方々はとても真面目ですが、時間通りに来なかったり、間際でのキャンセルなど、時間感覚の違いにはとても苦労しています。
── 実際に動いてみることで、いろいろと見えてくる部分もあったんですね。
そうですね。
当初の思いとギャップがあったとはいえ、長期的な視点で捉え、将来的に実現させていこうと前向きに捉えていますよ!
僕自身もさまざまな事業を展開したいとは思っており、今はそのために日系マーケットを軸に、地盤を固めようと思っています。
他にマニラで活動する難しさとしては、渋滞による時間損失が大きいことが挙げられます(笑)。
フィリピン全体で渋滞による時間損失は1日で50億とされています。
今後は地下鉄や電車などの導入が進むとされていますが、交通渋滞についての課題はしばらく残ると思います。
渋滞以外にも、衛生面での懸念や文化の違いによる難しさ・・・日本とは違う部分はたくさんあります。
いい意味で少し鈍感で、寛容でいることが大切ですね。
気になる今後と海外で働きたい方へのメッセージ
── マニラで挑戦し続ける意義をたくさん感じられるお話でした。今後についてはどのようにお考えですか?
遠い未来に向けて明確な目標を持つよりも、「今、この瞬間、自分がやりたいと思うこと」に全力を注ぎたいと思って生きています。
テクノロジーの発展により世界はめまぐるしく変化しており、変化に柔軟に対応しながら生きることが大切だと思っているので。
ただ、「10年先に後悔しない生き方をする!」という軸はきちんと持っています。
希望していた住宅メーカーへの転職、フィリピンへ飛び込んだことなど、これまで人生の転機は10年に一度訪れているので・・・。
今は「フィリピンで起業する!」という直近の目標達成に向けて全力投球し、その後は「10年先に後悔しない生き方」を選んでいこうと思っています。
── 最後に、海外で働きたい方へメッセージをお願いします!
「自分の人生は自分が主役であり、自分が何をしたいのかを最優先すべき」だと思っています。
そして、「何をしたいのか」の答えが海外に出ることなら、迷わず挑戦して欲しいですね!
僕も同じように悩んだ末に飛び込みましたが、心の底から挑戦してよかったと思っています。
安定した生活を捨てる恐怖や、周囲の目や世間体が気になる気持ち・・・よく分かります。
僕自身もすごく気になりましたが、今はまったく気になりませんし、周囲は意外と自分のことを見ていないものですよ!
── たくさん悩んだ阿波加さんだからこそ、伝えられるメッセージですね!
日本で経験を積んで、キャリアの土台を作ることも大切ですね。
僕自身、「もっと若い頃に海外に出ればよかった」と思ったことは何度かありました。
ただ、「もし海外で上手く行かなくても、日本でまたやり直せる!」と自信を持って言えるスキルを身につけていたからこそ、踏み出せたのも事実です。
また、最初から目先の給与や待遇を求めるのではなく、結果を出すことで、後からついて来ると考えることも必要です。
僕は今、「フィリピンで起業する」という目標を達成するために「投資」をしています。
だからこそ、他の日系企業で勤務するという選択はせず、個人事業主として活動を続けてきました。
ときに貯金を切り崩したこともありましたが、後から「回収」すればいいと思っています。
まとめ
いかがでしたか?
「10年後、後悔しない生き方を!」
充実していた日本での生活を捨て、海外へ飛び込む決意をした阿波加さん。
ご自身がたくさん悩んだ末に決断し、マニラで充実した毎日を過ごしているからこそ、次の「誰か」へのエールが心に響きました。
また、自分の意思を周囲に伝え、やると決めたことは確実にやり抜くなど、夢の実現に向けた努力を惜しまない姿もとても素敵でした。
そんな阿波加さんが、今後マニラでどんな風に事業を立ち上げ、拡大していくのか・・・とても楽しみです。
阿波加さん、今回は貴重なお話をお聞かせいただきまして、ありがとうございました!