シンガポールの起業家有岡瑛志さんが語る、“環境や視点を変える”意義とは?
こんにちは!
BEYOND THE BORDERライターのペクです!
「毎日がただ忙しく過ぎていく」、「もっと自分らしく、楽しく仕事と向き合いたい」・・・そんな思いを持っていませんか?
今いる場所で自分らしく活躍できていればもちろん素敵ですが、誰もが最高に輝ける場所に身を置けているとは限りません。
であれば・・・外の世界に一度目を向けてみませんか?
今回は日本で6年間教員として学校教育に携わった後、シンガポールの日本人学校で5年間の勤務を経て、現在はシンガポールで日本人の中・高生向けの個別指導教室を運営されている有岡瑛志(ありおか えいし)さんにお話を伺いました。
教員になる前に1年間一般企業での社会人生活をご経験された有岡さん。
当時の経験から「夢を与える教育がしたい!」や「もっと世の中の楽しさを伝えたい!」という強い思いで、子供たちと向き合い続けて来られました。
そんな有岡さんはご自身の海外経験も踏まえ、「環境や居場所を変えれば、希少価値の高い人になれる」と次世代の子供たちに伝えたいとのこと。
子供たちに伝えたいメッセージとのことですが、今の私たちにも言えることではないでしょうか?
グローバル化やAIの台頭など、競争が激しい世の中で生き残っていくために、人とは違う経験をすることは非常に大切です。
有岡さんも他の人とは違う経験ができるからこそ、まだまだ海外で挑戦し続けたいとのことでした。
「これからは自ら生み出せる人が活躍する時代」
だからこそ、ご自身でビジネスを生み出す経験をすべく起業され、子供たちのロールモデルになりたいという有岡さん。
困難や壁にぶつかりながらも前向きに乗り越えていく姿は、現状を変えたいけど不安を抱えている方にきっと勇気を与えてくれるはず。
海外就職や海外起業をご検討の方は是非ご一読下さい!
※本文中の一部お写真につきましては、有岡様ご本人から頂戴したものです。
目次
有岡瑛志さんとは?
大学卒業後に一般企業で勤務するも1年で退職し、教員としてのキャリアをスタート。都内の私立中高一貫校で4年間勤務した後、1年間フィンランドで教育視察のかたわら日本語教師を務める。帰国後に同校へ復職し、2年間国際交流担当としてグローバル教育に携わる。退職後はシンガポールへ移住し、日本人学校中学部で5年間教員として勤務。グローバルクラスの立ち上げやChromebookの導入に携わる。2019年4月から独立し、子供たちが主体性や生きる力を身につけられるような学習サロンSELFを創設・運営。子供たちに世の中の楽しさ、自分の力で道を切り拓く大切さを伝えるべく、奮闘中。
※プロフィールは当日伺ったお話と学習サロンSELFのHPを参考に執筆。
日本で感じた教育の限界とフィンランドで得た気づき
── 大学卒業後に一度一般企業へ就職した後、なぜ教員を志すことになったのでしょうか?
日本で1年間社会人生活を送る中で多くの方にお会いしましたが、仕事や毎日を心から楽しんでいる人は少ないと感じたんです。
仕事が楽しくないのは教育に問題があるのではないか、と思ったところから教育に関心を持ちましたね。
大学では経営工学を専攻していたものの、教育実習で母校に行きたいという理由で(笑)、数学の教員免許を取得していました。
そんな折、偶然本の中で「子供たちに夢を与える学校を作りたい」という文章を見つけ、しかもその著者の方に会える機会があると知りました。
会いに行きたいと思って訪れたら・・・なんと採用説明会で!
選考で「夢を与える教育をしたい」という熱い思いを語り続けたところ、採用して頂きました。
── 社会人生活を送る中での疑問から教育の道へ!実際、教育に携わってみてどうでした?
子供たちがいかに夢を追えるような環境作りをするかを考えている学校で、面白さはありました。
子供たちにきっかけを作ろうと各界の著名人をお招きして、イベントや講演会を生徒主体で運営するというプログラムに僕自身も関わらせて頂いたので。
一方で、日本の教育に対して限界や疑問を感じるようにもなりました。
日本の教育は、仕組みとして校則や教員からの押し付けが多いと思いますが、全員を一律同じルールで縛る必要はないと感じたんです。
それに、子どもは全員違うので、同じ内容を同じペースで学んでいくのはどう考えても無理で・・・勉強も押しつけになってしまっていました。
── 楽しさを感じる反面、限界や疑問を感じる部分もあったんですね。海外に関心を持つようになったきっかけは何かありますか?
教員になって4年目を迎えた頃、フィンランドの教育が流行っているのが気になったんです。
関心を持っていろいろと本を読み漁っているうちに、僕が教えている数学を含め、日本で当たり前に教えていることは他の国の方から見たら一体どうなんだろう? と思い始めました。
── それがきっかけでフィンランドへ?
そうですね。
書籍の中で書かれているような教育が実際に現地で行われているのかを確かめるために、教育視察がしたくて!
1年間休職し、フィンランドで生活することにしました。
現地では、最初の2ヶ月間は視察のみで過ごしていたのですが、少しでも先方に僕を受け入れたメリットを感じてもらうべく、自作のカリキュラムをもとに授業で日本語を教え始めました。
海外に出てマイノリティになるという経験をしてみて、日本語を教えるのが自分に残った一番のスキルだと思ったので。
── ご自身で道を切り拓く姿がとても素敵ですね。フィンランドで有岡さんにとって何か大きな変化や気づきはありましたか?
教育はすべて自己責任という人生観の違いに触れたのが大きかったです。
フィンランドでは、勉強したくない子供は無理に高校や大学に行く必要はありません。
その代わり、必要なときに後からいつでも学び直せる仕組みを国が作っていて、それぞれが自己責任の下、自分の生き方を選んでいるんです。
また、これは後にシンガポールで生活するようになってからより強く感じるようになったことですが・・・。
海外では他人の人生に対してあまり干渉することがなく、それぞれの選択を尊重している雰囲気があり、非常に心地良いと感じました。
── “自分の生き方を自分で選ぶ”という感覚、すごく大切ですよね。そして、海外の心地良さについては私もよく分かります(笑)。1年間の教育視察後にそのまま海外に飛び出さず、日本で復職されたのはなぜですか?
フィンランドで学んできたことを日本の子供たちに還元したいという思いがあり、復職して2年間はグローバル教育事業に携わっていました。
当時の僕は、もっと海外に出たり、国内で視点や評価軸を変える意義を日本の教育の中で伝えたいと思っていたので。
ただ・・・続けていくうちに、僕自身がまだまだ経験不足であり、子供たちにとってのロールモデルになりきれていないと感じるようになりました。
だからこそ、僕自身が海外に出て、その姿を背中で示そうと思ったんです。
シンガポール日本人学校へ赴任し、思いの実現に向け奔走。そこで得た気付きとは?
── 数ある国の中でシンガポールを選んだのはなぜですか?
特に国にこだわりがあった訳ではなく、偶然シンガポールに来ることになりました。
最初は欧米の大学院に留学しようとしていたのですが、諸事情あって断念しました(苦笑)。
だったら、海外で働き口を探そうと思った矢先、海外の日本人学校で勤務するという選択肢を知ったんです。
教員を海外に送り出す機関に登録し、マレーシア・タイ・中国といった国の日本人学校で選考を受けた末、最終的にシンガポールの日本人学校に赴任することになりました。
── 教員の方が海外に出る場合はそのような流れになるんですね!海外の日本人学校は日本の学校と何か違う特色があるのでしょうか?
シンガポール日本人学校の場合、イマージョンプログラム(注)として体育・美術・家庭科・音楽に関しては英語で授業が行われていました。
それ以外は基本的に日本語で、日本と同じような教育を施しています。
ただ、僕としてはシンガポールで教育に携わる以上、シンガポールでしかできない教育に携わりたくて・・・。
具体的には、英語教育を軸に、将来日本人として海外で活躍できるような人材に子供たちを育て上げたいと強く思っていました。
たまたま校長が僕と同じような志を持っていたこともあり、最終的に責任者として新しくグローバルクラスを立ち上げました。
(注)イマージョンプログラムとは・・・通常の授業を第二言語で教えることで、第二言語の習得を図るプログラムのこと。(参照:コトバンク)
── 教育にかける有岡さんの思いの強さが窺えます。グローバルクラスは具体的にどんな特色があったのでしょうか?
将来日本人として海外で活躍するために必要な英語力の向上はもちろん、異文化に飛び込み、主体的に行動するための論理的思考力やコミュニケーションスキルを身に着けることを目的としているクラスでした。
日本人と外国人教員の2人でクラスを受け持ち、学級活動はすべて英語、週の半分以上を英語で授業にするため、数学と理科の授業も英語で行っていました。
日本人学校の中学部としては世界でも前例がなく、責任者としてクラスの新設を進めるのは大変な時期もありましたが・・・。
少しでも子供たちの可能性や選択肢を広げることができたのはよかったと思っています。
── 素敵な試みですよね! 大変なこともあったと思いますが、やりがいも大きかったのではないでしょうか?
日本人学校で勤務していた頃は、海外にいる日本人の子供たちはなんて素敵なんだと日々感じていましたね。
海外でご活躍されている親御さんを持つ子供たちなので、日本と比べて開放的で、明るく素直な子が多いという印象を受けました。
彼らが海外経験を活かして日本で活躍してくれれば、日本の未来は明るいとも感じました。
たとえ日本人学校であれ、日本とは異なる環境に身を置くのは子供たちにとって非常にいい機会だど改めて気づくきっかけにもなりましたね。
── 日本と異なる環境に身を置く大切さなど、海外で生活する子供たちから感じることも多かったんですね。
いつも子供たちから学んでいます。
日々子供たちと向き合う中で、授業形式については近年感じるところがありました。
どうしても集団授業だと、全くついていけなくても全員同じ場所にいる必要がありますし、他の子供が発表している間は上の空という子供だっています。
もちろん僕なりにそのような状況を作り出さないよう努力や工夫は重ねてきました。
実際、昨年1年間は僕が前に立って教えず、教科書やインターネットを通して知識を得て子供たちどうしで発表するという授業を取り入れたりもしました。
それでも残念ながら全員をフォローしきれないという現実に直面したんです。
「多」を伸ばすのではなく、もっと「個」を伸ばす教育に注力したい、そのためには学校教育という枠から一度外れる必要があると感じました。
「もっと個を伸ばす教育を!」強い思いを胸に、シンガポールで起業!事業を通して伝えたいこととは?
── 学校教育に限界を感じたからこそ、独立してご自身で教育事業を展開されるご決断をされたのでしょうか?
もちろんそれだけではなく、子供たちのロールモデルになりたいという思いもありました。
たとえ会社の中にいても、今後は今ある仕事に就くのではなく、自ら仕事を作り出さなければならない時代です。
自分の独自性を見出し、他と差別化しながら己を磨いていかないと海外では戦えないとも思います。
その上で、まずは僕自身が何かしら事業を生み出す経験をしないと、子供たちに何も語れないと思いました。
不安はたくさんありましたが(苦笑)、何事もやってみないと分からないので・・・。
有難いことに志を同じくするパートナーの方に恵まれ、なんとか頑張っている日々です。
── 「子供たちのロールモデルである」、勇気を出して背中で示そうとする有岡さんの姿がとても素敵です。現在の事業について教えて頂けますか?
学習サロンSELFという、中高生向けの個別指導教室を運営しています。
単に勉強を教えるのではなく、いかに生涯にわたって勉強し続けられる力を養うかを考えながら、日々子供たちと向き合っていますね。
勉強以外でも何か目標ができたときに、計画をどのように設定し、実現に向けてどのような行動を積み重ねていくのか・・・そっと背中を押しながらサポートするコーチやメンターのような存在であろうとしています。
グローバルクラスで教壇に立っていた頃、とある生徒が日本で親御さんと一緒に居酒屋に訪れたときの話をしてくれたんです。
居酒屋で聞こえてくる会話のほとんどが会社や上司に対する愚痴や文句で、驚いたと言っていました。
でも・・・僕は自分の捉え方・考え方次第で世の中はいくらでも楽しくできると思っていますし、子供たちにもそう伝えたいんです。
── なるほど。有岡さんが子供たちに伝えたいメッセージは大人にも当てはまることですよね。
私のパートナーよく言っている言葉を借りると、大人になるほど“空気を読む”ことを強いられる場面が増えてきますが、自分の心に従う勇気を持つことが大切だと思います。
漠然と「みんなと一緒の方が安心」と考え、人と同じように歩んできた道の途中で愚痴をこぼすのは違うと思っていて・・・。
そして、今いる場所で評価されないなら、環境を変えてみるのもひとつの選択肢だと思っています。
元リクルートの藤原和博さんは、100人に1人の希少性を3分野で確保すれば、掛け算で100万人に1人の存在になれると仰っています。
この100人に1人になる分野を見つけるためにも、とにかくたくさん行動することが大切だと僕は思っています。
だからこそ、運営する学習サロンSELFではプログラミング教室も設けています。
たとえゲームが好きだとしても、そこそこ上手にプレイできる人はいくらでもいます。
ただ、もう一歩踏み込んで実際にゲームを作れる人は少なく、希少価値の高い人材になる可能性も上がりますよね?
いかに他の人と違うことができるか、それこそが自分の人生を切り拓く力になると思っています。
── そのような意図でプログラミング教室を!そんな風に視点を変えて、人と「違う」部分を見つけ出すこと、すごく大切ですよね。今の仕事のやりがいや楽しさについて教えて頂けますか?
すべてが自己責任だというところです。
僕が「やりたい!」と思ったら、きっと頑張ればできるという環境に身を置けていることが楽しいです。
とはいえ、経営のスキルはまだまだ足りない部分もあり、パートナーの方にはいつもご指導を頂いてばかりですが・・・(苦笑)。
あとは・・・たとえ日本人向けにビジネスを展開するにしても、場所が海外であれば希少価値の高い存在になりやすいこと、でしょうか?
── 前者は私にとっては「大変なこと」に分類されそうですが・・・(苦笑)。大変なことや難しさを感じる場面はありますか?
物理的なモノの少なさにはどうしても影響を受けますよね・・・。
テキストや教材もシンガポールで日本のものを入手しようとすると、当然日本で購入する場合よりも費用がかかります。
よって、日本と同じ授業をするのではなく、臨機応変に今あるものを組み合わせて進めていくことが求められると思います。
様々な難しさはありますが、僕はまだ海外のフィールドで挑戦し続けたいと思っています。
海外に身を置き続けることで、他とは違う、僕にしかない価値を発揮し続けられると思っていますし、海外経験のある子供たちこそが次の日本を背負っていくことになると考えています。
気になる今後と海外で働きたい方へのメッセージ
── もう少し海外に身を置きたいというお話もありましたが・・・今後についてはどのようにお考えですか?
「世の中って楽しい!」とか「大人になるのも悪くないよね!」と思えるような、イキイキとした子供たちを育てる学校を作りたいと思っています。
日本で日本人として生まれ育ち、海外に出ると日本人であることを自覚させられるようなシーンも増えました。
これまで自分が得てきたものを最終的には日本の子供たちに還元したいという思いが強いですね。
そのためにも、自分が誰よりも多くのことを学び、誰よりも人生を楽しみたいと思っています。
子供たちは自分よりも勉強していない大人のことなんてすぐに見抜くので。
今後も“生き方”で勝負できるような人でありたいですね。
── とても素敵な目標ですね!これまでの様々な経験を踏まえ、今後海外で働きたい方へのメッセージをお願いします!
とにかく「挑戦したい!」と思うなら、まずは行動することに尽きます。
失敗して失うものなんてさほど多くありません。
悩んでばかりで行動できない方が多い中、行動できる人はそれだけで一歩前に進んでいると思います。
海外に出ること自体は僕はさほど難しくないと考えています。
仮に英語ができなかったとしても、どこかに必ず道はあるものです。
僕自身も事前学習はしたものの、英会話力が不十分なままフィンランドへ行きました。
当然苦労もしましたが、コミュニケーションをとろうとすると自然とみんなに助けてもらえました。
必要に迫られれば、最終的には「なんとかなる」と僕は思っています(笑)。
まとめ
いかがでしたか?
ご自身が1年間の社会人生活で「仕事や人生を楽しんでいる人が少ない」と感じたことから教員の道を志し、「子供たちにもっと世の中の楽しさを伝えたい」、「子供たちに夢を与える教育がしたい」と長年奮闘してきた有岡さん。
海外へ一歩踏み出したり、起業したり・・・常に子供たちのロールモデルであろうとする姿がとても印象的でした。
有岡さんがお話して下さった、「いかに他者とは違う、希少価値の高い人材になるか」は次世代の子供たちだけでなく、私たちも考えるべきところだと思いませんか?
今の環境で輝けないのなら、視点や評価軸を変えてみる・・・。
日本とは違う環境に身を置き、そこで事業を興すこともその手段のひとつだと、お話を聞いて強く感じました。
やってみないと分からないからこそ、不安はありながらも起業に踏み出すなど、これまで様々な挑戦を続けてきた有岡さん。
「まずは行動することに尽きる!」
これから海外で働きたい方へのメッセージ、有岡さんのお姿からも感じられたのではないでしょうか。
有岡さん、改めましてこの度は貴重なお話をお聞かせ頂きまして、本当にありがとうございました!
今後の益々のご活躍、並びに事業のご発展を祈念しております。
*今回ご紹介した有岡さんが運営されている、学習サロンSELFのHPは>こちら