アジア起業家

数々の大きな夢をカタチに!カンボジアの起業家・加藤大地さんが背中で語る“繋がり”の大切さ

「繋がりを大切にすれば、想像以上の形で夢を実現できる!」

今回お話を伺った、カンボジアの起業家・加藤大地(かとう だいち)さんが背中で語るメッセージです。

27歳のときに出会った本がきっかけで旅に目覚め、初めて訪れたカンボジアの虜になった加藤さん。
旅の途中で出会った方の影響を受けて、「自分が作った学校を通して、大好きなカンボジアと一生付き合っていく!」という思いを抱き、周りの方々と一緒になって、世界一周中にカンボジアで学校を建設されました。

その後もカンボジアへの強い思いを胸に、幼稚園を建設するなど、これまで延べ1,000人以上の方々とカンボジアで活動を続けてきた加藤さん。
2018年からは、本格的に拠点をカンボジア・シェムリアップに移し、現地で教育・就労・伝統文化の復活と共有など、生活の基礎を作るために日々奮闘されておられます。

常に自らの信念を貫き通すだけでなく、周りの方々を大切にしながら進むことで、困難を乗り越え、夢を実現させてきた加藤さんの姿から、キャリアを切り拓くヒントだけではなく、たくさんの勇気をもらえるはず。

熱意溢れる素敵なお話なので、ぜひ最後までお読みください!

*本文中のお写真はすべて、加藤さんご本人からいただいたものです。

カンボジア・シェムリアップ州の市長から表彰される加藤さんご夫妻

加藤大地さん プロフィール
27歳のときに出会った本の影響で、バックパッカーとして初めてカンボジアを訪れる。そこで、カンボジアの虜になり、帰国後に当時の彼女(現在の奥様)に話をしたことがきっかけで、翌年にカンボジアを含む東南アジア4カ国・1ヶ月半の旅へ。そこで、「学校を建設して、学校を通してカンボジアと一生付き合っていく!」と決意し、世界一周中の2009年にイキイキスクールを建設。約2年10ヶ月間、世界各地を旅した後に日本に帰国し、国連UNHCR協会で勤務するかたわら、2014年にカンボジアでイキイキ幼稚縁を建設するなど、さまざまな活動を行う。2018年に現在の一般社団法人Kissoを設立し、カンボジア・シェムリアップを拠点に、教育だけにとどまらず、就労、伝統文化の復活・共有など、現地の方々の生活の基礎を作るために幅広い活動を行っている。これまでカンボジアで一緒に活動してきた方々は、延べ1,000人以上。
*加藤さんが運営されている、一般社団法人Kissoのブログと当日伺ったお話をもとに執筆。

 

「カンボジアと一生付き合っていく!」思いを胸に、世界一周中にカンボジアで学校建設に取り組む

世界一周中、エジプトのピラミッドを前に

 

──  世界一周を経て、カンボジアでご活躍されている加藤さんですが、海外に関心を持ったきっかけについて教えていただけますか?

 

27歳の頃、高橋歩さんの著書『Adventure Life』『World Journey』に出会い、世界一周が一気に身近になったことがきっかけです。
それまで、世界一周なんて本当の大金持ちしかできないと思っていたんです!

中学で柔道、高校でアマチュアレスリングをしていた僕は、怪我で近所の整骨院によくお世話になっていました。
そこからリハビリ系の仕事に就きたいと思い、専門学校を卒業して7年間、整形外科でリハビリの仕事をしていました。
途中で、「雑貨屋やライブハウスを経営したい!」など、チャレンジしたいことや夢は何度か出てきましたが、実際にカタチにできないことが続いていたんです。

本がきっかけで、100万円あれば世界一周に行けると知り、「これは、絶対に行きたい!」と思い立ちました。

 

──  そのような背景があったのですね・・・!

 

ただ、そこですぐに世界一周に出かけた訳ではありません。

まずは資金を貯める必要があったのと、世界一周後も同じ仕事をしているかが分からなかったので、資格なしでいくら稼げるかを試してみようと思ったんです。
そこで、勤務先を退職し、朝から晩までホテルで配膳の仕事をして、旅行資金を貯めました。

その配膳の仕事に就く前、リハビリの仕事をしながら、早朝のコンビニでアルバイトを始めたことが、カンボジアを訪れるきっかけになったんです。
というのも、たまたまコンビニのオーナーの娘さんがバックパッカー経験者で、「世界一周に行きたい!」という僕に対して、いろいろとアドバイスをしてくれました。
そのうちのひとつが、「初めての一人旅でいきなり世界一周ではなく、一度海外に出ておいた方がいい」だったんです。
聞けば、「せっかくお金を貯めても、騙されたりして盗られてしまったら、元も子もないから」とのこと。

そこで、一度どこか海外に出ようと思い、訪れたのがカンボジアでした。

 

──  実際に訪れてみて、どうでしたか?

 

カンボジアの魅力の虜になると同時に、悲しい現状に衝撃を受けました。

まず、人との距離感が近く、あっという間に現地の方と親しくなれたことは嬉しかったです。
お酒が好きな僕にとって、すぐに打ち解けて、一緒にお酒を酌み交わしたのが良い思い出になりましたし、一緒に飲んだ方々にまた会いたいと思いました。

一方で、宿泊していたゲストハウスのドライバーで、一緒にお酒を飲もうと誘っていた方が、誘った翌日に亡くなってしまうという、悲しい出来事も経験しました。
結婚したばかりで、家族を養うために体調不良を感じながらも働き続けていたそうで、亡くなった理由はマラリアではないかとのこと。
日本では簡単に助かる命が、途上国では助からない、そんな現状を初めて目の当たりにしたことは、とてもショックでした。

 

──  そこから、カンボジアで学校を建設することになった経緯について教えていただけますか?

 

帰国後、カンボジアでの出来事を当時の彼女(現在の奥様です)に話したところ、彼女も一緒に行ってみたいという話になり、翌年に今度は1ヶ月半かけて、カンボジアを含む東南アジアを旅しました。
そこで、カンボジアで学校を建設されたことがある方にお会いしたんです。

学校建設に必要な費用を尋ねたところ、当時返ってきた答えは30万円。
たしかに、目の前の金額としては大きな金額でしたが、半年で飲み会の費用として30万円ぐらい使っているかもしれないと思ったんです。
それなら、同じお金で、好きになった国のために、何かできることをしたいじゃないですか・・・!

そこから、「自分が作った学校を通して、大好きなカンボジアと一生付き合っていく!」と思って動きはじめました。

 

──  具体的に、どのようなことをされたのでしょうか?

 

世界一周の資金とは別に、まずは学校建設に必要な資金を集めることにしました。

当時一緒に働いていた同僚に、「100人に夢を語り続けられれば、その夢は叶う」と言われていたこともあり、誰かに会う度に、カンボジアでの学校建設にかける思いを熱く語り続けました。
そのうち、何人か賛同してくれる仲間が出てきたので、僕と同じくらい熱い気持ちを持った仲間だけが集まるよう、1口2万円と決めてお金を集めることにしたんです。
僕自身も2万円しか出さないことにして、一切の上下関係なしで、プロジェクトを進めることにしました。

その結果、趣旨に賛同した80人の仲間が参加してくれて、世界一周に出る前に160万円もの建設資金が集まりました。
そこから、まずは一旦世界一周の旅を始めた後、乾季になったタイミングでカンボジアを訪れ、現地で3ヶ月間滞在しながら、集めた建設資金をもとに学校を建設しました。

 

──  カンボジアでゼロから学校を建設。 大変なことも多かったのではないでしょうか?

 

もちろん、大変なこともありましたが、それ以上に「繋がりを大切にすれば、想像以上の形で夢を実現できる!」と強く信じられるようになりました。

当時、企業が学校を建設する過程については、メディアで情報が得られましたが、個人で学校を作る方法については、情報もノウハウもありませんでした。
建設資金自体もすぐに集まった訳ではなく、何度か心が折れそうになったこともありました。

それでも、「自分が作った学校を通して、カンボジアと一生付き合っていく!」という確固たる信念を持ち、思いを伝え続けた結果、大きな夢を成し遂げるだけでなく、素敵な仲間との繋がりが得られました。
建設資金を集めるために、80人もの仲間が賛同してくれたり、3ヶ月にわたる現地での建設期間中に、約180名の旅人のみなさんが、できることで力を添えてくれたりもしました。

これを機に、一人で何かを成し遂げるよりも、周りの人たちと一緒に何かを成し遂げたいと思うようになったんです。
同時に、何事においても、周りへの感謝を忘れず、目の前の一人ひとりを大切にしながら取り組むことが大切だと思うようにもなりましたね・・・!

 

「40歳からは自分の手で何かを始める!」目標に向けてキャリアを切り拓き続ける日々

2014年に建設したイキイキ幼稚縁を前に全員集合!

3ヶ月間、カンボジアで学校建設に携わった後、運動会や卒業式などの学校行事で何度かカンボジアに戻りながら、約2年10ヶ月間にわたって世界各地を旅した加藤さん。
日本に帰国後も、少なくとも1年に2回はカンボジアを訪れながら、日本でお仕事をされていました。
ここからは、当時の様子や起業に至るまでについて、お話を伺っています。

 

──  日本に帰国後のキャリアについて、教えていただけますか?

 

約5年間、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の日本委員会である、国連UNHCR協会で勤務していました。

旅の途中、カンボジアで学校を作ったことで、「僕にもできることがある」という実感が湧きました。
日本に帰国後も、何かそれに近いことができればと考えていたところ、求人広告で「国際協力しながら、働きませんか?」というキャッチコピーを見つけたんです。
そこで、面接に行ってみたところ、UNHCRの支援サポーターを集める仕事でした。

最初はアルバイトとして入社し、途中で正社員に登用していただきました。
最終的に、関西の新規拠点立ち上げにも携わり、約3年間マネージャーを務めました。

 

──  加藤さんの頑張りが伝わるお話ですね! 当時、頑張れた原動力はありますか?

 

収入が必要だったこともあり、まずはリーダー職を目指すことにしました。
リーダー職に就くと、収入が上がると言われており、惰性で仕事をするよりは、何か目標を作った方が良いと思ったからです。
それに、僕が頑張れば頑張るほど、少しでも多くのお金を難民の方々に届けられて、難民の方々を救えるというのも大きな励みになっていました。

あとは、もともと「40歳からは自分で会社を立ち上げて、“何か”を成し遂げる」と決めていました。
20歳で成人し、社会の一員として認められる訳ですが、ちょうど僕は20歳から働き始めているので、40歳が社会人として本当の意味で「大人」だと自分で決めて、そこからは自力で進んでいこうと思っていたんです。
新規拠点の立ち上げに携わったり、マネージャー職に就いたのも、将来的に自分で何かを成し遂げる上で必要な経験だと思ったからこそ、自ら手を挙げたんです。

 

──   最終的に、起業に至るまでの経緯について教えてください。

 

35歳のときにカンボジアで幼稚園を設立したことがきっかけで、40歳からは「カンボジアに住み、カンボジアで学べる場所と働ける場所を作っていきたい」という明確なビジョンが見えてきました。

幼稚園建設にあたっては、1口1,000円から参加できる「1,000縁プロジェクト」を立ち上げ、資金を集めました。
当時、カンボジアの教育委員会の方々とお話をする中で、小学校に目を向ける団体は多いものの、本来の目的である、就学率の向上を達成するためには、その前後の教育環境の整備が必要だと知りました。
そこで、少しでも支援のハードルを下げ、カンボジアの教育現場について知ってもらうことにしたんです。

最終的に、1,569人の方々から360万円以上の資金が集まったうえ、現地ボランティアとして3ヶ月間で300人以上が参加され、延べ2,000人近くの方々とともに進めた、大きなプロジェクトとなりました。
みなさんとのご縁を大切にしたいと思い、建設した幼稚園を「イキイキ幼稚縁」と名付けました。

小学校建設に続き、僕たちだけではできないことをたくさん成し遂げていく中で、応援してくださる方や村の人たちとの繋がりを大切にしながら、カンボジアでもっと多くの夢を叶えたいと思うようになったんです!

 

──   加藤さんの熱い思いが伝わってきました!

 

それに、今の形で起業するまでの間も、任意団体として活動していましたが、どうしても活動の幅が限られていました。
魅力的な事業をされている他の企業様ともっと提携してきたいという気持ちもあり、法人化した方が話を進めやすいと思ったんです。

そのような思いから、一般社団法人としてKissoを設立しました。
その後、現在に至るまで、シェムリアップやその近郊の村を中心に、活動を続けています。

 

──  活動の拠点としてシェムリアップを選んだのは、なぜですか?

 

最初に小学校を作ったのがシェムリアップ近郊の村で、大切なものに気づくきっかけとなった、特に思い入れの強い場所だったからです。

たしかに、商品を作るにあたっては、首都のプノンペンの方がお店も揃っていて、進めやすいのが正直なところではあります。
困っていることがまったくないと言えば嘘になりますが、それでもシェムリアップやその村の人たちが大好きなので、今も日々頑張って向き合っています。

 

熱い思いの実現に向けて、カンボジアで挑み続ける今

 

──  現在の事業について、教えていただけますか?

 

小学校建設の経験を土台に、現在は教育以外にも、就労、伝統文化の復活・共有も行うなど、生活の基礎を作るための幅広い活動を行っています(これまでの活動実績はこちら

具体的には、学校建設と修繕、教材製作を通して「学べる環境」を整えたり、男性スタッフは竹あかり製作や竹建築、女性スタッフは籐カゴの製作を行うことで、「働ける環境」を整えています。
もともとは市内に製品を販売するお店もありましたが、コロナ禍で閉めることになり、現在はオンラインショップで販売しています。
また、新型コロナ禍以前は、旅行会社やゲストハウスと提携し、カンボジア現地ツアーも行っていました。

ほかには、オンラインサロンの運営やイベントの企画・運営を通して、支援金を募っています。

 

──  事業を進めるなかで、どんなところにやりがいを感じますか?

 

村の人たちのポジティブな変化を実感できたときが、すごく幸せです。

日本とは違い、通信環境も、商品を作るための設備も不十分な中で、ゼロからものづくりを進めています。
村の人たちにとっても、前例のないことに取り組むことになるため、最初は「できない」の一言で、まったく動こうとしなかったんです。

それでも、繰り返し思いを伝えることで挑戦を促し、ひとつずつできることが増えていく過程や村の人たちの笑顔を見られると、最高に嬉しいですね!

 

──  逆に、難しさはありますか?

 

自分の実力不足もありますが、想像していたよりも3〜5倍、物事が進むスピードが遅いと感じています。
おかげで、資金難に陥りそうになり、心の余裕を失った時期もありました。
幸いにも、たまたま大きな事業が動くなどで、苦難を乗り切れましたが・・・!

また、正直なところ、「カンボジアの魅力を発信することで、カンボジアを好きになってもらい、その上で伝えるべき現状を伝えたい」という、自分の信念を貫き続けることが本当に正しいのか、迷った時期もありました。
カンボジアの悲しい現状だけを切り取って発信することで、支援を募ることは簡単かもしれません。
ただ、実際のところ、カンボジアの所得自体は10年前と比べると約2倍に上がっており、大きな苦労を強いられている方は少なくなってきています。
そのような現地の情報を正しく伝えたいと強く思っていましたが、会社を存続させるには資金が必要な訳で・・・。

 

──  その難しさは、どのように乗り越えられたのでしょうか?

 

「関わってくださった方々や現地の方々の幸せを考える」という原点を忘れず、発信し続けました。
その過程で、友人の一言がきっかけで、「自分ができることと、他の誰かができることは違う」と、改めて思い出させてもらいました。

僕はカンボジアで実現したいビジョンがあり、実際に現地で生活しています。
一方、カンボジアのために何かをしたいと思っていて、お金はあるのに、現地には来れないし、何ができるかも分からないという方もいらっしゃいます。
発信を通して、お互いが繋がり合える機会を持てた方が、よりみんなが幸せになれると思いませんか?

それに、最近では「達成したときには、僕も、村の人々も、応援してくれた方々も、みんながハッピーになれる!」と自信を持って言えるビジョンができたのも大きいです!

 

気になる今後と海外で働きたい方へのメッセージ

 

──  その「ビジョン」について、具体的に教えてください!

 

今までは「生活の基礎づくり」を意識し、カンボジアで必要最低限の学習・就労環境を整えてきましたが、今後は「未来に向けた基礎づくり」に注力したいと考えています。

具体的には、学校+工房、レストラン、宿泊施設、農業、遊び場が一体となった循環型エコビレッジを、カンボジアの新しい学校の形として広げていきたいと考えています。

エコビレッジの完成形イメージ

授業については、午前中は公立の学校として国語、算数を学び、午後は大人も子どもも通えるフリースクールとして英語、アプサラ舞踊(カンボジアの伝統舞踊)、SDGs(※)について学び、海外でも活躍できる基礎と、自国の文化を守れる基礎を作っていきます。

これまで経済で動くような社会が作られてきましたが、地球に優しく物事を動かさないと、結果的に、私たちみんなが大変になると思います。
同時に、特にカンボジアの農村部では、まだまだ子どもたちの身近な職業が少なく、夢が広がりづらいところがあります。

新しい学校を通して、地球に対する優しさや人権などにもきちんと目を向けて行動できる、未来のリーダーを育成し、子どもたちの職業選択の幅を広げることで、両方の課題にアプローチしたいと思っています。
実際、その実現に向けて、現地の教育委員会とも上手く連携を取りながら動いているところです。

※SDGsとは・・・Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略。2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標。途上国のみならず、先進国自身が取り組む普遍的なもの(参照・引用:外務省HP|「SDGsとは?」)。

 

──  加藤さんご自身の今後については、どのようにお考えですか?

 

今回の挑戦から始まる、新しい形の学校を3ヶ所ほど設立し、問題なく運営できるようになったら、今度は家族で世界一周の旅に出たいと思っています。
その旅を通して世界各地で、同じように未来を考えた活動に取り組んでいる方々にお会いし、お互いに意見交換をしながら、世界中の人たちと手を取り合い、さらに明るい未来を一緒に創っていきたいですね・・・!

それより先は、まだあまり考えていません。
今描いている未来の先は、これからの出会いや経験を通して、自ずと定まってくる気がしています。

 

──  最後に、これから海外で働きたい方へのメッセージをお願いします!

 

「繋がりを大切にすれば、想像以上の形で夢を実現できる!」

目先の利益を追うのではなく、目の前の一人ひとりとのご縁を大切にし続けることが、より大きな未来に繋がっていくと、僕は信じています。
今年の頭から、エコビレッジを作るためのクラウドファンディングを始め、先日318名の方々より600万円以上(プラットフォーム以外からの支援も含む)のご支援をいただき、その思いはより強くなりました。

先日行われたクラウドファンディング

これまでの活動でも、僕たちは常に関わる方々との繋がりを大切にしてきました。
それが、金銭的な支援はもちろん、技術的な支援や温かい励ましのメッセージに繋がっていたと思っています。

今回のクラウドファンディングでも、目先の利益を追求するのではなく、あくまで正しい現状と解決すべき課題、そこにかける僕の思いや夢を真摯に伝え続けることで、周りの方々の心を動かすことを意識していました。
そこから、発信を見てくださった方々が一歩踏み出してくださったことで、大きな未来への道筋ができたと思っています。

 

また、何かをしようと思ったとき、すべての条件が揃うことはまずありません。
海外に出たいなら、まずはインターンでも、ボランティアでもいいので、海外で「いろいろな障害を乗り越えてきた」という成功体験を作ることが大事だと思います。

僕も最初にカンボジアで学校を作ったときは、スキルもノウハウも分からず不安だったり、心折れそうになることもたくさんありました。
ただ、一度学校を作ったという実績ができてからは、それが自信にもなりましたし、助けてくれる周りの方々も、これまで以上に一緒になって動いてくれるようになりました。

最初のハードルを乗り越えさえすれば、その経験がその先の自分を後押ししてくれるはず。
そう信じて、恐れずどんどんチャレンジしてほしいですね・・・!

 

加藤さん、この度は貴重なお話をお聞かせいただきまして、ありがとうございました!
今後のご活躍、心より応援しております。

 

*今回ご紹介した加藤さんが運営されている、一般社団法人KissoのHPは>こちら
*加藤さんのSNSは>InstagramTwitter

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▼支援金受付口座
・銀行名:ジャパンネット銀行
・支店名:ビジネス営業部(005)
・口座種別:普通口座
・口座番号:1900294
・口座名義:シャ)キッソ

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Jiyoung Baek

セブ留学がきっかけで東南アジアの虜に!! フィリピン・セブでの海外インターンを経て、ベトナム・ハノイで海外就職。約2年に渡って大好きな東南アジアで働きながら、旅をする生活をしていました。 現在は自身の海外経験を基に、旅するインタビュアーとして海外で活躍する方々を取材し、「海外で働くとは」について発信することで、海外で働きたいけど一歩踏み出せない方に挑戦のきっかけを作るべく奮闘中。 どんなときもアジアの眩しい陽射しのような笑顔を忘れず、頑張っています! 日々大事にしていること「やらない後悔よりやって後悔、何でもやってみる!」