アジア起業家

公務員、大手企業を経て独立し、ガイドブック『マニラブ』を発刊!たくせきさんが語る”行動を続ける”意義

収入もある程度あって、それなりに恵まれた生活。
でも、そんなに好きな仕事でもないし、むしろ「何か」が足りない気持ちもある。

周囲で何かに夢中になる人を見ては羨ましくなり、自分には何も打ち込めるものがなくて落ち込む・・・。
「どうすれば、夢中になれる仕事が見つかるのだろうか・・・」



今回はメディア運営やコンテンツ制作を通して、フィリピン・マニラの魅力を届ける、たくせきさんにお話を伺ってきました。

マニラへ移住するまでは、公務員や大手企業勤務を経て、Webサイト制作を手がけるフリーランスとして日本で活動するなど、さまざまな経験をされているたくせきさん。
そのときどきの思いに忠実に行動を重ねた結果、マニラで夢中になれる仕事に出会いました。

今回、たくせきさんには次の3点について伺ってきました。

  • 「安定」していた環境から飛び出す決断をした背景とは?
  • 行動を重ねる中で“夢中になれる”仕事を見つけた方法とは?
  • さまざまな挑戦を重ねた結果、たくせきさんに起こった変化とは?

慣れ親しんだ現状から抜け出し、“心から打ち込める”ことを探そうという方は、きっと勇気をもらえるはず。
ぜひお読みください!

*本文中のお写真は、たくせきさんご本人からいただいたものです。

たくせきさん プロフィール
2010年に早稲田大学法学部を卒業後、千葉県内の市役所で3年間勤務し、Yahoo!JAPANに企画職として転職。3年間勤務した後、2016年にフリーランスに転身。2017年よりフィリピンへ移住し、日本との2拠点生活を送りながらフィリピン、特にマニラの生活・旅行・留学情報について多様な方法で発信。現在はマニラ発日本人クリエイター集団"Philjourney"の代表として奮闘中。
*当日伺ったお話を基に執筆。

「自分の名前で勝負したい!」 思いを胸に、公務員から会社員、そしてフリーランスへ

ヤフー退職時の写真

── 公務員から大手企業での勤務を経て、フリーランスとして独立。とてもユニークなキャリアですね!

父が身体障害を持っていたこともあり、幼い頃から福祉に関わる仕事がしたいと思っていました。
社会福祉士として現場で働くために、福祉系の知識が学べる学部へ進学し、現場研修も受けました。
そこで制度の不備を目の当たりにし、官公庁の立場から法や制度に対してアプローチしようと法学部へ転部したんです。

最終的に、希望通り市役所の障害福祉課で勤務することになりましたが・・・。
自分が管理職として、権限を持って制度に関われるようになるまでに、かなり時間が掛かりそうだと感じました。
また、社会に出て、どんな仕事でも社会に貢献できると気づき、「直接的に福祉に関わる仕事」にこだわる必要もないのではないかと思ったんです。

就職して3年目は、新しい挑戦をしたいと考える方も多い時期ですよね?
社内で何か新しいことに挑戦してもよかったと思いますが、僕の場合は社外に目を向けることになりました。

── そうだったんですね。なぜ転職先としてYahoo!JAPAN(以下、ヤフー)を選ばれたのでしょうか?

当時急速に伸びていたIT業界であれば、新しいことに挑戦できる可能性や個人の裁量が大きいように思いました。
そのような環境で主体的に動きながら、もっといろいろなことに挑戦したいと思っていたところ、縁あってヤフーに入社することになりました(グループ採用→本社転籍)

ヤフーには企画職として入社し、おもにシステム設計やサービスの販促企画、プロジェクトマネージャーとして社内プロジェクトでエンジニアやデザイナーを取りまとめる仕事に携わっていました。
そこで、プログラミングやデザインの知識がないと、ただ調整するだけで終わってしまう状況に危機感を覚えたんです。
きちんと技術的な側面も理解できるようになりたくて、週末と就業後に、デジタルハリウッド大学で半年間デザインとプログラミングを学びました。

── 最終的に、フリーランスとして独立した背景を教えていただけますか?

ヤフーに入社した頃から、「ゆくゆくは自分の名前で勝負がしたい!」と強く思っていました。
ちょうどデジタルハリウッド大学で学び終えた後、「せっかく身につけた技術を眠らせておくのはもったい!」とも思っていたので、この機会に一度「自分の力で収入を得る」経験をしてみようと思いました。

たとえ独立して失敗しても、その間「何をしていたか」がきちんと示せれば、また公務員にも会社員にも戻れるはずだというのが、当時の僕の持論でした。
会社を辞めたから何かを失うのではなく、選んだ道でいかに頑張るかが大切だという意識は持っていました。

── 素晴らしい考え方ですね! 「自分の名前で勝負する」という思いを持ち続けていたのはなぜですか?

ファーストキャリアで公務員を選択したぐらいなので、当然「安定」志向はありました。
ただ、社会に出て仕事をするうちに、僕の中で「安定」の定義が変わったのだと思います。

当時は「安定」=「有名な大学を卒業し、一流企業に入社すること」が世間的な潮流でした。
ただ、真の「安定」とは、「どんな状況でも自分で事業を始められること」や「どこにいても自分で収入を得られること」ではないかと思うようになったんです。
だからこそ、どこに行っても通用するスキルを身に着けたいし、そのような経験ができることに挑戦しようと思いました。

── 「安定」の定義に変化があったとは・・・とても興味深いお話でした。フリーランスとして独立してみて、どうでしたか?

特にツテがあった訳ではないので、最初の約3ヶ月は収入がないなど、苦労した時期もありました。
ただ、活動を続けていると、知人の紹介でデザインやWebサイト制作の案件を受けることも増えてきたんです。

最も大きかったのは、デジタルハリウッド大学の卒業生や講師の方々の紹介で、Web制作会社様と提携し、案件ごとにフリーのディレクターを務めるようになったことです。
当時の時代の流れもあり、社内にデザイナーやプログラマーはいても、ディレクターが足りていない企業様は多く、フリーのディレクターのニーズが意外と高くて・・・!
それ以外にも自分の力で案件を獲得し、1月に10案件同時に回すなど、がむしゃらに働いていました。

「自分のサービスを作りたい!」という思いから、マニラでガイドブックを発刊

マニラブ刊行時の写真(たくせきさんは写真中央)

── フリーランスとして独立した後も順調に軌道に乗っていたように思えました。なぜ海外へ目を向けることになったのでしょうか?

フリーランスとして、依頼元となるお客様のWebサイトを制作を請け負っていましたが、受託事業である以上、作るのは常に「誰か」のサービスです。
もちろん、僕のアイデアを取り入れた提案もできますが、自分が作りたいものやサービスを作りたいという思いが芽生えたんです。
そこで、フリーランスとしてWeb制作で生計を立てつつ、自分の事業を立ち上げられるよう模索してみたいと思い始めました。

どうせ何か新しいことを模索するなら、競合の少なさや今後の成長可能性を踏まえ、東南アジアに目を向けた方が、ビジネスとして広がっていきそうだと感じたんです。
幸いにも、Webサイト制作は、場所を問わず進められる案件がほとんどなので、思い切って踏み切ることにしました。

── フィリピン・マニラを選んだ理由について教えていただけますか?

ちょうど東南アジアに目を向け始めたときにマニラを訪れる機会があり、魅力を感じたからというのがマニラを選んだ理由ですね。
たまたま母の知り合いが長くマニラに住んでおり、いざとなったときに頼れる安心感もありました。
これまであまり海外経験もなく、どうしても長期で生活することになると、不安なことも多かったので。

── 新しい事業を立ち上げるために、マニラでいろいろと模索されたかと思います。マニラの魅力を発信し始めたきっかけについて教えていただけますか?

マニラに来て2ヶ月ほどは、日本でWeb制作の案件を受注しながら、マニラの街をあちこち見て廻る日々を過ごしていました。

当時、マニラの生活や観光に必要な情報は現地の情報誌でしか手に入れられず、ブロガーも少なかったので、Web上にはほとんど情報がない状態。
僕は何か困っても知り合いに助けを求められますが、知り合いのいない方々には不便ではないかという問題意識を持ちました。

であれば、個人の視点で、マニラの観光や生活に関する情報を発信してみようと思ったんです。
企業が運営するWebメディアは網羅的に情報が集まっていますが、誰が書いたかについては分かりにくい部分もあります。
海外では怪しい情報も多いとされているので、きちんと顔やプロフィールを公開し、信頼できる個人が発信する情報に意味があると感じました。

── 素晴らしい視点ですね!

ありがたいことに、活動を続けるうちに、多くの方々にブログを読んでいただけるようになりました。
それを機に、現地の情報誌で連載を担当させていただいたり、旅行雑誌のコーディネートの依頼を受けるようになりました。
その過程で、マニラ長期滞在者の方々がたくさんお持ちのおすすめ情報は口コミでしか伝わっておらず、Web上には掲載されていないと気づきました。

そこで、「現地の方が本当におすすめできるものだけを集めたガイドブックを作りたい!」と強く思うようになりました。
具体的には、観光地・レストラン・お土産・アクティビティなどの情報を1冊にまとめるのが理想でしたね。

── それがマニラの魅力を伝えるガイドブック『マニラブ』発刊のきっかけになったんですね。

そうなると、「個」の力では限界があり、志を共にする仲間が必要だと感じました。
そこで、フィリピンに思い入れのあるメンバー5人が集まり、『マニラブ』の制作に取り組むことになりました。

制作にあたっては、クラウドファンディングで資金を調達しました。
「メンバーだけでなく、多くの方と一緒になって作り上げたい」、「掲載内容が広告に左右されないようにしたい」などの思いがあったからです。

素人で無名の5人で、高い目標金額を目指すのは大変でしたが、地道な呼びかけや関連機関との関係構築など、戦略を持って動きました。
結果、約200万円ほど資金を調達し、約4ヶ月で5,000部を発刊することができました。

この点、若いながらも、ある程度社会人経験のあるメンバーが集まれたことが大きかったと思います。
さまざまな繋がりから、志を同じくする仲間と同じ時期に出会い、活動する経験ができたことも何よりの財産だと思っており、当時のメンバーには感謝が尽きません。

さまざまな経験を経て“夢中になれること”を発見。充実した「今」に迫る!

── 現在の事業について教えていただけますか?

『マニラブ』を発刊後、一部メンバーは卒業しましたが、2019年9月に"Philjourney(フィルジャーニー)"として組織化しました。
現在は4名で運営しており、主にメディア運営事業・コンテンツ制作事業・留学デザイン事業という3つの軸で事業展開を進めています。


*画像はマニラブHPより引用。

「共創」というコンセプトを大切に、メンバーのみならず、現地在住の個人の方々や企業、観光省の方々と一緒になって作り上げていくという意識で活動していますね。

── 「共創」のコンセプト、とても素敵ですね。お仕事のどのようなところにやりがいを感じますか?

これまでは有益な情報が口コミや紙媒体など、アナログな手段でしか共有されていませんでした。
それがWeb上で、誰でも安心して手に入れられる状態を作り出せれば、マニラの生活も旅行もより便利で楽しくなると思います。
そこに携わっていることや読者の方々からフィードバックをいただけることが何よりも大きなやりがいです。

また、海外の他の地域や日本の地方でも、まだまだアナログな手段でしか情報が共有されていない場所はたくさんあると思っています。
今回、マニラという特定の地域で情報発信を続け、成功事例を作れれば、他の国や地域でも応用できると思うんです。
ビジネスとして広がりのある事業に携われていることも面白みのひとつですね。

── 充実している様子が窺えます。マニラでチャレンジしてよかったことはありますか?

周囲の目を気にせず、挑戦できるようになりました。
何かに挑戦したいとき、フィリピンの方々は非常に協力的で、思いをカタチにしやすい印象があります。

競合も少なく、希少性を高めたり、差別化がしやすいところも魅力的ですよね。
たとえば、同じブログという発信手段でも、東京とマニラではライバルの数も違います。
既にある日本の方法をそのまま持ち込んでも、先進的だったりしますし・・・。

もともと「個」として生きる思いが強かったこともあり、希少性を高め、存在意義を感じやすい環境は頑張る原動力になっています。
「自分の名前で勝負する」ために、身を置く環境を変えるのはひとつの戦略ですよね。

── マニラで挑戦する意義がたっぷりと伝わってきました。逆に、苦労しているところはありますか?

組織の代表という立場になり、採用やマネジメントに苦労する部分は正直あります。
仕事の上ではスキルも大事ですが、挨拶や細やかな連絡、誠実な対応など、信頼の基礎となる人間性を大切にして欲しいと僕は思っています。
特にスタートアップの場合、目に見える実績があまりないので、仕事ぶりが信頼を生むと強く思っているので。
そのような価値観や仕事に対する姿勢なども含め、志を共にできる仲間を探すのはなかなか難しいですね。

大きな戦略や仕組みを描くなど、個人事業主として活動していた頃にはなかった仕事も増えています。
特に、収益化は大きなポイントで、まだまだ課題がたくさんあるので、今後積極的に事業展開を行っていきたいと思っています。

── やりがいはもちろんですが、苦労されているお話からも、充実した毎日をお過ごしの様子が窺えます。

日本でフリーランスとして活動していた頃より収入も減りましたが、毎日が本当に充実しています!
20代のうちにいろいろな経験をした上で、やっと夢中になれるものにたどり着いたという思いです。
夢中になって「やり続けたい!」と強く思えるものに出会えるかどうかはとても大事ですね。

「外に出たからこそ分かることもあれば、続けたからこそ分かることもある」
公務員を辞めるとき、お世話になった先輩から言われ、いまだに心に残っている言葉です。
もちろん、僕自身は転職に対して否定的な捉え方はしていませんし、さまざまな経験があったからこその今だと思っています。

ただ、今の僕は心から打ち込めるものを既に見つけています。
だからこそ、今後どうすればそれが続けられるのかをしっかりと考える必要性を強く感じています。
何かを続けるためには、資金やリソースはもちろん、自分のモチベーションを保たないといけないので・・・。

気になる今後と海外で働きたい方へのメッセージ

── 今日はさまざまなご経験をされた、たくせきさんならではのお話がたくさん伺えました。今後についてはどのようにお考えですか?

これまでもいろいろと変化してきているので、先のことは正直あまり考えていないところがあります。
ただ、短期的な目標はしっかりと持つようにしています。

まず、"Philjourney"の事業としては、引き続き「共創」のコンセプトを大切に、マニラの生活・旅行・留学について、媒体を問わず発信していこうと思っています。
今年は特に、動画での発信に力を入れていきたいですね。
最終的には、「フィリピン旅行やマニラ留学をするなら、『マニラブ』を見る!」という世界観を作っていきたいと思っています。

── たくせきさんご自身の今後についてはいかがでしょうか?

国内にもまだまだ知らない場所がたくさんあるので、フィリピン国内旅行を通して、フィリピンへの理解を深めようと思っています。
仕事に夢中で、ついスキルアップが疎かになっている部分もあるので、デザインや動画に関する知識や技術に磨きをかけたりもしたいですね。

また、日本を拠点にする比率を少しずつ増やしていきたいとも考えています。
というのも、日本人向けにサービスを提供する旅行代理店や航空会社、フィリピンの観光省などは日本に拠点を置いていることが多いからです。
日本にいた方がステークホルダー(利害関係者)との距離は近く、それが今後フィリピンでビジネスを拡大する上で重要だと感じています。
ときどき日本のように切磋琢磨できる環境に身を置き、日本のビジネス感覚を思い起こす必要性を感じているからでもありますが・・・。

── 最後に、海外で働きたい方へメッセージをお願いします!

考えるだけでは何も始まらず、現実を変えるのはいつだって行動です。
一歩踏みだした後が気になるかもしれませんが、「海外で何をしてきたか」をきちんと言語化さえできれば、問題ないと僕は思っています。

とはいえ、海外に出ることを逃げ道にするのは少し違うと思います。
日本で積み重ねてきたことが海外でも活きることが多く、日本で培ったものを活かして海外で勝負する方が、より成長に繋がるのではと感じます。

まとめ

いかがでしたか?

公務員から会社員、そしてフリーランスとキャリアチェンジをしながら、マニラ移住へも挑戦。
その都度目の前のことに全力で向き合いつつ、思いに素直に行動し続けた結果、マニラでやっと夢中になれる仕事を見つけたたくせきさん。
「自分の実績をきちんと言語化できれば、たとえ失敗しても道は拓ける」というアドバイスは、その生き方からも伝わったのではないでしょうか?

"Philjourney"として事業をスタートさせたのは半年ほど前。
まだまだきっと大変なこともあると思いますが、「フィリピン旅行・マニラ留学といえば、『マニラブ』!」と言われる日が来ること、大変楽しみです。

たくせきさん、今回は貴重なお話をお聞かせくださって、ありがとうございました!
今後のますますのご活躍と事業のご発展を心よりお祈り申し上げます。

*今回お話を伺ったたくせきさんのSNS等は>TwitterHP
*たくせきさんが運営されている『マニラブ』のSNS等はこちら>WebメディアInstagramYouTube公式LINE
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Jiyoung Baek

セブ留学がきっかけで東南アジアの虜に!! フィリピン・セブでの海外インターンを経て、ベトナム・ハノイで海外就職。約2年に渡って大好きな東南アジアで働きながら、旅をする生活をしていました。 現在は自身の海外経験を基に、旅するインタビュアーとして海外で活躍する方々を取材し、「海外で働くとは」について発信することで、海外で働きたいけど一歩踏み出せない方に挑戦のきっかけを作るべく奮闘中。 どんなときもアジアの眩しい陽射しのような笑顔を忘れず、頑張っています! 日々大事にしていること「やらない後悔よりやって後悔、何でもやってみる!」