タイの政治状況
「微笑みの国」と呼ばれているタイですが、政治は軍事政権が倒れた1973年から2015年までの42 年間にクーデター5回を繰り返すなど、政治は混乱しています。直近でも、2014年にプラユット将軍率いる国軍が軍事クーデターを起こし、憲法と議会を廃止し実権を掌握して以来、軍事独裁政権が継続しています。このような不安定な状況の中でもタイのイメージがそこまで悪化していないのは、多くの血が流れるような大規模な衝突が起こっておらず、また国民からの信頼の厚い国王が混乱を沈めていることなどが寄与しているものと考えられます。
1.タイの近代史概要
(1)第二次世界大戦後(1945年〜1980年代前半)
戦後、国民の高い教育水準や豊かな国土を背景に徐々に工業国への道を模索し、1967年には東南アジア諸国連合(ASEAN)に結成時から加盟。1989年にアジア太平洋経済協力(APEC)に結成時から参加しました。この頃より日本や欧米諸国の大企業の進出を背景にした本格的な工業化へのシフトを進めるとともに、それらを背景にした高度経済成長が始まり、バンコクなどの大都市を中心にインフラの整備も急速に進むこととなりました。
(2)高成長期(1980年代後半~1990年代半ば)
1980年代後半から97年に通貨危機が発生するまでの約10年間、高成長を達成。この間(86~96年)の平均成長率をみると9.2%と高成長を達成しています。80年代以降、積極的な外資導入による輸出志向型の工業化を目指した。85年のプラザ合意以降の急速なドル安進展がきっかけとなり、為替 調整への対応を迫られた外国企業は、良質で安価な労働力が豊富に存在するタイに生産拠点を求めて進出。特に、エレクトロニクスや半導体など輸出志向型企業の進出により、生産と輸出は急拡大しました。
(3)アジア通貨危機(1997~98年)
90年代前半、内需は過熱しバブルの様相を呈していましたが、90年代前半に中国が国際市場に本格進出を始めると、タイは次第に価格競争力を失い、96年から輸出の停滞色が強まっていきました。このような状況の中、タイのバーツは投機的な売りの対象となり97年7月変動相場制に移行させ、事実上の通貨切り下げを容認することになりました。こうして起こったタイ発の通貨危機は、その後、マレーシア、インドネシア、フィリピンそして韓国などへ瞬く間に伝染しアジア通貨危機に発展しました。タイでは深刻な内需低迷に見舞われ、中でもこれまで好調であった消費市場は急速に冷え込み庶民の生活は苦しくなりました。
(4) アジア通貨危機後の回復(1999年〜現在)
アジア通貨危機後は、大幅なバーツ安で輸出競争力が向上し、98年終盤以降経済は回復から発展に向いました。2000年以降は、米国の同時多発テロやインド洋の大津波などが景気の下押し要因と なったものの、タクシン政権(2001~2006 年)が掲げた「デュアルトラック政策」(内需と外需の双方の成長を取り入れる政策)が奏功し、成長ペースは加速させました。しかし、2005年以降は数回の軍部のクーデターなどの政局の混迷を受け内需が低迷するなど政治的な不安定な時期でもありました。直近では、2014年にプラユット将軍率いる国軍が軍事クーデターを起こし、憲法と議会を廃止し実権を掌握して以来、軍事独裁政権が継続しています。
(Wikipedia及びSMBCフレンド証券投資情報部資料を参考に加筆修正しました。)
2.タイの政治
政治体制の概要
実質的な最高指導者は、国家平和秩序評議会 (NCPO)議長のプラユット将軍。国家平和秩序評議会は、2014年5月22日の軍事クーデターにより全権を掌握した軍事政権が創設した組織で、評議会議長が首相を兼ね、立法権を持つ内閣や行政権を持つ国家立法会議を上回る権限を保持しています。また、司法権を持つ憲法裁判所に対しても政治的影響力を行使しています。クーデターで廃止した国民議会(上下院)に代わり国家立法会議が設置されましたが、過半数の議員を国軍の軍人や退役軍人が占めています。(Wikipediaより一部修正)
国家元首
政治体制は立憲君主制であり、国王が国家元首ですが、その権限はタイ王国憲法によりさまざまな制限が加えられています。タイの国王は国民からとても尊敬されていることがタイに滞在していると感じました。一方で不敬罪が存在し、「不敬」と看做された行為は処罰対象になります。国王が印刷されたお札の目の部分を折り畳んで「エロ目〜」と遊んでいた旅行者が「不敬罪」で逮捕されたそうです。
行政
国政の最高責任者は首相です(Wikipediaより一部修正)。
立法
プラユット将軍が、2014年に軍事クーデターを起こし、憲法と議会を廃止して実権を掌握して以来、政党政治を禁止する軍事政権が続いています。現在活動を停止させられている国会は、上下二院制の議会制民主主義をとっています。国会は500議席からなる民選の人民代表院(下院)と、150議席からなる元老院(上院)で構成されています。人民代表院の任期は4年で再選可、元老院は6年で一期のみです。首相は人民代表院から選出され、元老院には法律の発案権はありません。前回選挙は、2014年2月2日に投票が行われ、タクシン元首相派のインラック首相率いるタイ貢献党が圧勝しました。しかし、3月21日に反タクシン元首相派寄りとされる憲法裁判所は、この選挙結果を認めず、総選挙を無効とする判決を出して、インラック政権を転覆させました(司法クーデター)(Wikipediaより一部修正)。
司法
司法権はタイ最高裁判所が持ちます。なお、最高裁判所の裁判官はすべて国王による任命制です(Wikipediaより一部修正)。
3.タイの軍事状況
タイ王国軍の正規兵力は30万6600人(陸軍19万人、海軍7万600人、空軍4万6000人)で、男性は徴兵制による2年間の兵役の義務を有します。陸海空のいずれに配属(もしくは徴兵免除)されるかはくじ引きで決まりますが、徴兵を逃れるための賄賂はまだ頻繁に行われているようです。また正規軍の他に予備役20万人が存在します。
第二次世界大戦後、2006年までに発覚した未遂を含めて16回ものクーデターを計画、実行するほど、軍上層部の政治志向は強くタイの政治の不安定化の要因になっています。2014年にも軍事クーデターを決行し、プラユット将軍率いる軍事独裁政権が樹立され、現在もその支配は続いています。
4.タイを巡る国際関係
国際関係概要
タクシン首相時代(2001年〜2006年)は、東南アジアの近隣国との関係強化、主要各国との自由貿易協定(FTA)締結を進める経済中心外交を行い、「アジア協力対話(Asia Cooperation Dialogue:ACD)」を提唱するなど、地域の核となる立場を目指し、2008年7月から2009年12月までASEANの議長国を務めるなどASEAN諸国の中で存在感を示していました。
2014年にクーデターによって軍事独裁政権が樹立されて以降、タイは中国との関係を急接に深めるようになりました。タイの軍事政権に対して、日本や欧米諸国は、クーデターを非難して距離を置いていますが、中国は現在の政権を支持し、タイとの関係強化の姿勢を鮮明にしていています(Wikipediaより一部修正)。
日本との関係
日本はタイにとって最大の貿易額と投資額、援助額を持ち、日産自動車やホンダ、トヨタ、いすゞ、日野自動車などの自動車関連企業の多くが進出している他、空調メーカーであるダイキンといった家電メーカーなども多く進出しており、非常に深い関係にあります。日本側も国内市場への供給を行っている他、関税特典があるASEAN諸国内への輸出拠点として活用しています。なお、2015年現在1550社に及ぶ日本企業が進出しており、また、2007年11月に日タイ経済連携協定(通称:JTEPA)が発効したことから、貿易のみならず、投資や政府調達など幅広い分野における経済関係の一層の強化が期待されています(Wikipediaより一部修正)。