フィリピンの政治状況

1.フィリピンの近代史概要

(1)第二次世界大戦以前(〜1945年)

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(フィリピンの国民的英雄、ホセ・リサール)

3万年程前にマレー半島より移住したマレー民族が文明を形成したが、歴史の表舞台にフィリピンが出てきたのは14世紀の後半に遡ります。この頃、中東からインド、東南アジアを経て中国までを繋ぐ航路で海上交易を行っていたイスラム商人の影響を受け、フィリピン諸島にもイスラム教が広まり始めました。

その後、16世紀〜19世紀まではスペインの統治時代に入ります。1521 年、世界一周をしたことで有名なマゼラン(ポルトガル人ですがスペイン王の後見を受けていた)がフィリピンに到着し、その後のスペイン統治の基礎を築きました。その後のフィリピンはスペインの統治下に置かれてガレオン貿易の拠点として栄えました。また彼らによってキリスト教が普及するようにもなりました。

ガレオン貿易
…スペイン占領時代、フィリピンは、季節風を利用してマニラとメキシコのアカプルコと の間を船(ガレオン船)で往復して行われた交易のこと。
(鈴木 静夫著「物語 フィリピンの歴史」より)

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(米比戦争の様子)

19世紀末になるとスペインに独占的に支配されてきたマニラ港が自由港になり、様々な自由主義的思想が海外から入ってくるようになりました。その中で「ホセ・リサール」などはフィリピンナショナリズムを喚起し、独立の機運を高めました。しかし、1898年スペインからの独立を果たしたものの、1901年には米比戦争の結果、アメリカの支配下に入ることになります。

1940年代前半には、太平洋戦争が勃発し、東南アジア諸国に出兵した日本に占領され、日本の軍政時代に入ります。しかし、日本の軍政は長続きせず、1945年3月には米軍がマニラを制圧、終戦を迎えます。ちなみにフィリピンでは52万人近くの日本人がこの戦争で亡くなっています。

(2)第二次世界大戦以降(1945年〜)

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(現職のベニグノ・アキノ3世大統領)

終戦後、1946年には米国の独立を宣言してフィリピン共和国が誕生します。しかし、米国の影響は強く受け続けることになります。1965年にはマルコスが大統領に就任。その後20年間に渡り強権的な独裁政権を敷き、フィリピンの発展の妨げとなってしまいます。その独裁政権も1986年の「エドサ革命」で終わりを告げ、コラソン・アキノ大統領が国家元首となりました。

1992年に就任したフィデル・ラモス大統領は、規制緩和を推進し、電力供給の安定化や比較的高い経済成長率の達成、日本企業などの工場などの誘致などにも成功しました。その後、ジョセフ・エストラーダ大統領(1998年〜2000年)、アロヨ大統領(2000年〜2010年)と続き、その間にフィリピンはIT/BPOの拠点として注目を浴びるようになりました。しかし、政治的には混乱が続き、民衆からの信任を集めるような政権にはなり得ませんでした。

2010年より現職のベニグノ・アキノ3世が大統領になり、腐敗した政治体制が改善したこともあり、海外からの投資を活発に受けいれることができるようになってきました。これまでの大統領と異なり、国民からの信任も厚く安定した政治運営を行っています。ただ地方政府や地方役人の腐敗については今だ続いており、フィリピンで事業をする際には苦労する企業も多いです(実体験です。)。

2.フィリピンの政治

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(フィリピン大統領府)

政治体制の概要

フィリピンの政体は、行政府の長としての大統領を元首とする立憲共和制である。三権 分立制度が確立されているほか、公務員の不正や汚職を調査、訴追するオンブズマン制度が1987年に設置され、行政監察院(オンブズマン事務局)が独立機関としてその任にあたっている。
(「フィリピンの投資環境」株式会社国際開発銀行編より)

元首・行政

大統領を元首とする共和制国家であり、フィリピンの大統領は、行政府の長である。大統領と副大統領は、同日に別枠で国民の直接選挙により選出される。任期は6年で再選禁止。現職の大統領は2010年よりベニグノ・アキノ3世。
(Wikipediaより一部修正)

立法

議会は、元老院(上院)と代議院(下院)の両院制(二院制)。上院は、24議席で任期6年。3年ごとに半数改選。下院は、憲法上は250議席以下と規定されている。
(Wikipediaより)

憲法

フィリピン初の憲法は1899年に公布されたマロロス憲法であり、アジア初の共和制を定めた憲法であった。次は1902年のフィリピン組織法(クーパー法)で選挙による議会が設置された。
(Wikipediaより)

3.フィリピンの軍事状況

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現在のフィリピンは下記の4つのリスクに対して軍事力を中心とした対応を迫られています。

(1)南シナ海における特に中国との領有権問題
…現在、南シナ海において、中国、台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイが諸島全部または一部の主権(領有)を主張し、領土問題が存在しています。特に中国との関係は緊張状態にあり、領土の保全が非常に大きな課題となっています。

(2)在外フィリピン人の保護
…現在、1千万人以上(人口の1割)のフィリピン人が海外に出稼ぎをしており、彼らからの仕送りの金額がGDPの一割を占めるフィリピンにとって、在外フィリピン人の保護は非常に大きな問題となっています。彼らを保護するためにもある程度の軍備を備え対応する能力が必要です。

(3)国内のイスラム過激派への対応
…ミンダナオ地域(フィリピン南部)には、「イスラム教徒ミンダナオ自治地域」(ARMM)が存在し、イスラム教徒による自治を認めていますが、依然武装したイスラム過激派組織との衝突や緊張関係が存在しています。彼らを牽制し、国内の治安を保つためにも軍事力を備えておくことが必要となっています。

(4)自然災害への対応
…フィリピンは台風、地震、火山の噴火による災害に度々遭遇し大きな被害を出すことがあります。1991年のピナトゥボ山の噴火や2013年にレイテ島を襲った台風ヨランダなど大きな自然災害が発生した時への対応も必要です。

上記のリスクがあるにもかかわらず、現在のフィリピンの軍事力は十分であるとは言えません。下記が 米、中、日とアジア諸国の軍事支出比較になります。いかにアメリカの軍事費がずば抜けているか、いかに最近の中国の軍事費が増えているか、いかにASEAN諸国の軍事費がこれらの超大国と比べて取るに足らないかがわかると思います。今回は少し古いデータですが、直近のデータでは中国の軍事費はさらに増えており、その対応が求められます。

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このような東アジア、東南アジアの状況の中、特に南シナ海の中国の脅威の増大から、一旦はピナツボ火山の噴火やフィリピン国内の反米感情の高まりから撤退した米軍ですが、近年、再度米軍との連携を図っている状況です。

4.フィリピンを巡る国際関係

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上記のようにフィリピンは国外に1千万人ほど出稼ぎ労働者が存在することもあり、各国との外交関係は非常に重要視しています。それは下記のフィリピン外交3本柱の3本目にも記載があります。

(1) 国家安全保障の強化
(2) 経済外交の推進
(3) 海外のフィリピン人労働者の権利、福祉、利益の保護

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以下主要各国との外交関係について記述します。

(1)アメリアとの関係

フィリピンとアメリカとの関係は一時期、基地問題で関係が悪化したこともあったものの、基本的には軍事的、経済的、政治的に良好な関係を維持しています。1990年代に米軍がスービック海軍基地を返還したのち、南シナ海で中国との領土問題が発生してからは、共同軍事演習を行うなど、軍事的に連携を強めています。

(2)中国との関係

近年台頭する中国との間では南シナ海の領有権を巡って対立しています。しかし、中国とは圧倒的な軍事的な力の差があるため、この問題を国際海洋法裁判所に提訴したり、米軍や日本、ASEAN諸国との連携を深めるなどして対抗する構えを見せています。ただし、フィリピンの国内経済の大きな部分を占める財閥の多くは中華系であり、また、中国との輸出入の割合が年々増える中、両国の経済的な結びつきはますます深まっています。

(3)日本との関係

アメリカ同様、軍事的、経済的、政治的に良好な関係を維持しています。

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